『こうと決めたらてこでも動かない』。それはいつしか彼女の代名詞となっていたが、同時にそれは『頑固者』もしくは『自分勝手』を引き連れていた。勿論それは彼女も自覚していた。結構自分は我が儘だと思う。けれど、譲れないことは譲れないのだ。年齢に甘える訳ではないのだが――多分、許されるのは今のうちだけ、だと、思う。


「……何してるんですかエステリーゼさん」


 いつもは鉄格子の外にちょこりと座っているのに、どうして鉄格子の扉が開いていて、その中に居るのか。しかも大きなリュックサックを脇に置き、中からあれこれ出している。


「わたしが鉄格子の前にいつも居るものだから、看守さんが呆れて中に入れることを許してくれたんです」
「まあ……そりゃ、連日こんなとこに足運んでりゃそうなるかも知れんわな……人殺しと同じ部屋に姫さん放り込むっつーのも不思議だけど」
「大丈夫ですよ。貴方はわたしを殺したりしません。少なくとも今は」


 本当にこの大きさのリュックサックをここまで背負ってきたのか、と思うほどにどでかいリュックサックからは、次々とものが出てくる。簡易式のコンロ、大きめの水筒、ケトルとポットと二人分のカップとソーサー、花柄のティコージー、そしてどう詰め込んだのか小さな折り畳み式の机まで出てきた。
 せっせとお茶の準備を進める姫君を見つめ、彼は頭の上に乗っけたタオルを取っ払いながら頭の中で考える。昔読んだ本でこんなのがあったなあ。リュックサックじゃないけど、何か色々出てくる不思議なやつ。二足歩行する猫のやつ。


「お風呂に行って来たんですか? 髪、拭かないと寒いですよ」
「良いって、慣れてるから」


 暗い牢屋の中、濡れた髪がランプの光に艶やかに煌めく。罪人達は皆が寝静まり誰も風呂場を使わなくなった時間、限られた時間ではあるがそこを使う権利を与えられていた。牢屋で過ごしている罪人とはいえ、そこまで暮らしは苦ではない。必要最低限の欲求はどうにかしてくれるし、文句があるといえばベッドが硬いことと食事の量が少ないくらい。


「待っててくださいね、今熱い紅茶を淹れますから」
「……お前、出来るの?」
「ば、馬鹿にしないでください! わたしだって紅茶を淹れるくらい出来ます! ……お料理は……ちょっと自信ないですけど……」


 最後はもごもごとごまかすような声。ケトルに水筒の中の水を入れて、コンロに設置した固形燃料に火をつけると、その上にケトルを置く。コンロの傍にポットを置いているのは、コンロの周囲に生まれる熱を利用してポットを温めているからなのだろう。


「貴方はどんな紅茶が好きなんです?」
「そうだなー……そのへんにあるもの適当に飲んでるから、どんな種類があるのかもあんまり知らないんだよな」
「そうなんです? 好みに合わせて飲めるように、色々持って来たんですけど」


 え? 何、その鞄の中からまだ何か出るの? 思ったが、言わないことにした。だって言ってもどうしようもないし。出てくるものは出てくるし。


「では……そうですね。アプリコットにしておきましょうか」


 エステリーゼは鞄の中を漁って筒状の缶を取り出した。まだケトルの湯は沸かない。ここは少し寒いから、沸くまでは時間がかかりそうだ。


「……あんた、さ。周りから白い目で見られてないか」
「?」
「仮にもお姫様が、なんか無茶苦茶だし頑固だし綺麗なドレスなのに堂々と床に座ったり、剣抱えてきたり抜けてるけどお姫様が」
「あの、この際だからと言いたい放題言ってますよね?」
「……そんなだけど、まあ気品はあるしお姫様と言われれば納得出来る女の子が」
「ごまかさないでください。そんなこと言ったって、前言撤回なんて出来ませんからね」


 抜けてる、とは言っても、こういう部分は抜けていない。彼女は眉を吊り上げこちらを見つめていたが、やがて肩をすくめて苦笑した。


「正直な話――白い目で見られているのは前からなので、気にしていません。わたしが頑固で自分勝手なことは皆さんご存じですから。言ったでしょう? 看守さんは呆れて入れてくれたって。そういうことです」


 さんざ色々やってきた身だ。ここで罪人と仲良くなったところで、ため息より先にあるものはない。万一自分がこの罪人に殺されても、それで嘆く者も居れば喜ぶ者も居るのも事実。姫君でありながら命を狙われている立場に疑問を抱いたことはない。命を狙われることに身分など関係ない、そして命に重さも軽さもなく平等と、彼女はとうに知っていたからだ。


「白い目で見られてても、あんたはお姫様だろ」
「そうですね。そういう肩書はあります」
「そんでオレは人殺しで下町出身で、元騎士だ」
「お姫様は、人殺しで下町出身で元騎士さんと話してはいけないなんて、誰が決めたかご存知です? 知っているなら、おっしゃってくださいな?」


 ああ、これで何度目だろう。無茶苦茶で自分勝手で呆れでため息しか出ない、こんな姫君をそれでも立派と思うのは。多分――頑固でも自分勝手でも、まっすぐな瞳の輝きが曇らないからだ。
 かたりとケトルが小さく音を鳴らした。その音は徐々に間隔を狭くしていき、湯が沸騰して泡が弾けるごとに蓋が揺らめいた。それを見てエステリーゼは缶の蓋を開け、ポットの中に茶葉を入れ始めた。簡易コンロの火を消してポットの中に湯を注ぐと、ポットの蓋を閉めてティコージーを被せる。


「全部失ってからじゃ遅いんだぞ」
「……でしょうね。きっと取り戻せないでしょうから」
「今なら引き返せるとしたら、どうするんだ」
「引き返して欲しい、と言われたらそうするかも知れませんけど……残念ながら、それも出来ないんです」


 何で、と言おうとした。が、それより早くくるりとエステリーゼはこちらを向き、頬を僅かに赤らめて続けた。


「折角紅茶を淹れているのに、置き去りにして戻るなんて」


 ……何かを取り違えたような気がして、もう一度彼女の言葉を心の中で繰り返してみる。が、紅茶以外の意図が全く見出せない。何かの言葉遊びかと思ったが、そうも思えない。


「人は裏切るかも知れない。貴方はわたしを裏切るかも知れない。わたしも貴方を裏切るかも知れない。でも……今こうして淹れている紅茶が美味しくて温かなことは、決して揺るぎませんもの。そんな素敵な紅茶を置き去りにするのは勿体ないんですよ?」


 熱をなくしたケトルが徐々に冷めていっても、紅茶を飲み干してしまっても。
 今、この時は確かにあり、同じ時間を共有し、同じ紅茶を飲む二人が居るのだから。


「食い意地張ったお姫様ですこと」
「余計なお世話です」
「それで、まだ紅茶は出来ないのか? 風呂上がりで喉渇いてんだけど……」
「対して味のないもので宜しければ」


 静かに刻む時の中、ティコージーの内側で揺らめく紅茶はその色を増していく。
 二人の壁が溶けていく、その様に反比例するように。