「うわあ……! 凄いですユーリ! 海ですよ!」
「ああ、海だな。つか海行くっつったんだから、山にゃ行かんだろ」
「はい、海です! わたし、海に来たの子供の頃以来です……!」
後部座席に乗っけてきたビーチサンダルに足を引っ掛け、エステルは砂浜を歩く。さらりと足の指を伝って流れ落ちる細かい砂。
「ちゃんと足元見ろよ。ゴミとか落ちてるかんな」
「大丈夫です。……あ、貝が動いてます! 砂に潜るって本当だったんですね!」
しゃがんで海水を吸った砂を見つめ、エステルは瞳を輝かせる。秋とは言ってもサーフィンに訪れる人々で海は賑わっていた。降り注ぐ日差しは暖かで、海水は思うより冷たくなかった。
そういえば。
(……ガキの頃、エステルとフレンと三人でこの海に来たっけ)
三人で電車を乗り継いで、この海まで遊びに来た。熱い日差しが眩しくて、目を細めながら海までの道を歩いた。水着とタオルと昼食に用意したサンドウイッチ、その他色々詰まった大きなリュックを背負って、手を繋ぎ裸足で歩いた砂浜。泥だらけになって作った砂のトンネル。
「ユーリ。覚えてますか? 昔ここに来た時のこと」
「……オレも今それ考えてた。汗だくになって歩いたよな」
「帰りの電車の時間間違えて、大慌てで走って」
「したらお前は切符どっかで落として。オレとフレンで電車代を出した」
「……あ、あれはちゃんとあの後返したじゃないですか」
ビーチサンダルのまま海に足を付け、エステルは拗ねたように言った。
「それで今は、車に乗ってご到着、ってか」
「何だか不思議ですね。あれからもう随分と経ったなんて」
「確かに。……あんまり、遠い昔には感じねえな」
この海は変わらない。二人の関係も、三人の関係も、あの時と余り変わらなかった。ただその立場は大きく変わったが――その絆に、変化などなかった。
いつの間にか日が暮れて、真っ暗になった。近くのレストランで夕食を食べ、再びこの海に車を戻す。偶然残っていた花火を車の中から引っ張り出して、耐風蝋燭にライターで火をつける。風は緩やか。
「海で花火とか何だろうなこれ。数年遅れの青春?」
「数年遅れなんて寂しいこと言わないでくださいよ……わたしまだ十八なんですから」
「オレもう十代じゃねえもん。そろそろ衰えが見えてくるぞ」
「枯れた発言はやめてください。悲しい花火大会になっちゃいます」
ばちばちと音を立てて光る花火と、砂浜に落ちる輝き。海水を入れたバケツには花火がどんどん放り込まれていく。たった二人で花火、と最初は思ったが、やってみるとすぐになくなってしまうものだ。
「さて。残りは線香花火ですね」
「……何で線香花火って最後にやるんだろうな。お約束すぎてつっこめなかったんだけど」
「しっとりと終わるのが良いんでしょうね。哀愁漂う終わり……素敵じゃないですか。切ない恋みたいで」
また妄想癖が始まった、とユーリは無視して線香花火を縛るテープを切る。毎度毎度付き合っていたら疲れる、というのは、もう長い付き合いなので分かっていた。
「……切ない恋の物語も良いですよね。あ、でも童話にはそういうしんみりした話は駄目ですね。悲しいお話は書きたくありませんし」
「何だ、普段っから悲恋にボロボロ涙流してっから、そういうの好きかと思ってた」
「そうじゃないですよ。それは……まあ、読んでいて感情移入はしますけど、そういう体験がしたい訳じゃないんですから、…………、……ユーリ、やっぱり意地悪です」
エステルはまだ何かを言おうとしていたが、しょんぼりとしてから線香花火を手に取った。
悲恋なんてしてしまったら、ユーリと結ばれる結果にはならないのに。
そんな恋をしたって悲しいだけなのに。
……彼を、好きにならない人生よりは、ましだとは思うけれど。
「……ん、最後の一個か。ほれ」
「あ。ありがとうございます」
最後の線香花火を渡してきたユーリを見て、エステルが手を伸ばす。線香花火を摘まむ左手、その薬指が、蝋燭の光で淡く光っていた。エステルは右手を伸ばしかけて――けれど、右手は引っ込めて左手で受け取った。近付いた二つの指輪は、同じように蝋燭の光を反射する。
(ああ、そっか)
これで、良いんだ。
指輪とか、関係とか、そういうの、良いんだ。
ただここに、わたしが居て、この人が居て、幸せな時間がある。
全部、それで、良いんだ。
「何だ? そんな嬉しそうに笑って」
線香花火を受け取ってにこにこ笑うエステルを見て、ユーリが頬を緩める。
「いいえ。幸せだなって」
「……今までは、幸せじゃなかった?」
「そうじゃないんです。わたし、分かってなかったなって。でも、もう大丈夫なんです。ユーリはここに居てくれて、わたしはここに居るんだって、それで良いんだって、分かったんです」
「ふう、ん……ま、よく分かんねえけど、良かったな」
「はい!」
そうして最後の線香花火に火をつける。
この火がすぐに落ちて消えたとしても、きっとこの時間を忘れることはないのだろう。
打ち寄せる波音を、花火の輝きを、そして指輪に映した淡い光の一つ一つを。
「……エステル」
「何です?」
「帰りの車の中で寝たら、お仕置きな」
「………………頑張ります……」
とっても不安げな顔をして彼女が言った。
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