でも、その後で。


「…………寝てるし……」


 家まで残り十分。赤信号の交差点でブレーキを踏み助手席を見れば、エステルは小さな寝息を立てて眠っていた。先ほどまでは、うつらうつらしつつも頑張って起きていたし、信号が赤になったらちょっかいを出したりしていたから寝ないだろうと思ったが、どうやら違ったらしい。
 期待を裏切った――訳ではないけれど、眠られてしまっては少し寂しい。
 静かに流れるラジオから彼女の好きな曲が聞こえてきても、夢の中の彼女はその曲に瞳を輝かせたりしない。
 だが、彼女の寝顔はとても可愛い。ぱっちりした大きな瞳も良いけれど、伏せられて綺麗な睫で彩られたそれもまた美しいものだから。
 そろそろ信号が青に変わる。前に目線を戻すと、彼は小さな声で流れる曲に自分の声を合わせる。
 何度も聞いた訳でもないのにすらすらと歌詞が出てくることに、自分で驚きながら。




 真っ暗な廊下をエステルを横抱きにして歩き、寝室の扉を開ける。


「エステル。ほら、家着いたぞ、起きろ」


 抱えたまま身体を揺すってみるが、エステルは全く起きる気配がない。起きるのを嫌がる様に身じろぎされただけ。
 そんな風に無防備で。
 お仕置きされたい訳?
 ベッドに横たえて唇を指でなぞり、額に唇を寄せる。けれど触れる直前で止まって、そしてユーリはふっと息をついて顔を離した。


「…………ま、今日はおあずけ、か」


 ふあ、と欠伸。長時間運転したからか、とても眠い。こんな重たい身体で彼女に触れても中途半端だ。彼女に触れて、抱くのであれば、頭がしっかりした時でなければ勿体ない。
 朝起きて、ちゃんと身体が軽くなったら、腕を伸ばせば良い。
 いつの間にか眠ってしまっていたことに混乱している彼女を押し倒せば、さぞ面白い対応をしてくれることだろうし。


 ――哀愁漂う終わり……素敵じゃないですか。切ない恋みたいで。


 彼女の隣にごろりと転がって掛布を肩に引き寄せながら、ユーリは彼女が発した言葉を思い出した。
 切ない、恋。
 ……正直な話、彼女と結婚したということが信じられない時がたまにある。だって、こんな幸せ夢みたいで。その度に彼女の左手の薬指を見つめてこの現実を確かめたりして。
 この手のひらに宿る魔法が、消えていないかどうか確認したりして。
 小さなライラックピンクのクンツァイトが三つ埋め込まれた指輪。淡い桃色のイメージがある彼女に似合うと思って買った指輪だ。照れ臭くて仕方なかったから、素っ気ない渡し方をしてしまったけれど、エステルはぼろぼろ泣いて嬉しそうに笑っていた。
 ああ、あれはもう何ヶ月も前の話なのだ。そうして時は流れ、今もこうして幸せは続いていて、きっとこれからも続いていくのだ。
 死ぬまで溶けない、魔法。
 自分にはピンクの宝石なんて似合わなかったから、透明なクンツァイトが埋め込まれた指輪。そっと少女の左手を取って自分の左手を近付け、二つの指輪をかちりと合わせた。
 こんなに近付けた、幸せを、幻にしないように。









 青いスポーツカーで海に行く、って話を書きたくて。
 スポーツカーじゃなくなっちゃいましたけど。