届かないけど、この指には触れている。








月待ち人








 近所の草むらを散歩して、すすきを数本取って来た。小さく細長い花瓶に飾り、庭に続く窓際へ置く。夕暮れの赤は消え去り、藍色の静まった輝きが東から訪れる中で、エステルは皿に載せた団子や栗や里芋を、花瓶の脇に置いて行く。
 昼過ぎまでぱたぱたと静かに降っていた雨はもうやんだ。そろそろあの空に一番星が見える頃だ。
 窓際に座ると、秋物のアイボリーのティアードスカートはすらりとした足を隠す。脇に置いたトレイの上には、食べるための団子と、それから少しの酒を。


「もう月、出たか?」
「まだですよ。多分、あと少し」


 濡れた頭にタオルを乗っけて隣に座ったユーリは、風呂上がりの少し赤い顔を開かれた窓から出した。庭に咲く珊瑚花が、涼しくなった風に揺れる。長い黒髪から雫がぱたりと落ちて床に丸い模様を作り出す。


「ユーリ、座ってください。ちゃんと拭かなきゃ駄目です」
「拭いても垂れてくんだもん。めんどくさいからこのままで良いって」
「駄目です。ほら」


 頭にあったタオルを取られて床に座ったエステルは、自分の前を指差す。ここに座れ、という意味だ。断っても良かったのだが、こういう目をしている彼女の言い分を断るのは嫌なので、ユーリは大人しくその前に座る。濡れて重たい黒髪がタオルの感触で軽くなっていく。


「ユーリの髪は綺麗ですね」
「……そうか? 全然手入れとかしてないけど」
「綺麗です。良い匂いがします」


 えへー、と、珍しく甘えるような声を出し、後ろから抱きつかれた。いつもはこんなことしないのに。
 しかしどうしてだろう、耳元でくすくすと笑う少女の声も、何だかいつもと違うように感じる。吐息も、寄せられた頬も、熱くて。


「……エステル。オレの質問に正直に答えろ」
「はい?」
「酒……飲んだな?」


 ユーリの髪に頬を寄せたまま、エステルはぱちりとまばたきした。何か考えるようにして、そして唇を尖らせ、


「いいえ?」
「嘘つけ。飲んだだろ。お前は酒飲むと笑い上戸になるんだ」
「飲んでませんよう」
「ませんよう、って……いや、確実に飲んでる態度だからそれ」
「酷いです。ユーリ、わたしのこと疑うんですか」
「疑ってんじゃなくて本当のこと言ってるだけだ。飲んだんだろ」
「…………味見、しただけです」


 味見したくらいで酔っぱらうのかこいつは。……いや、こいつの『味見』ってどんくらいの量だ。


「ユーリ、は。お酒飲んでも、酔わないから。わたしもそんな風になりたかったんです。いっぱい飲めば慣れるってジュディスが言っていたから」
「……おい、それじゃ味見じゃないんだな? 結構な量いったな?」
「違います。ユーリから見たら、味見程度ですよ」


 ああ、飲んだ。これ、すっげ飲んだ。呆れてため息をついたユーリは、手を後ろに伸ばし、手探りで桃色の髪を捕らえてその頭をぽんぽん叩く。


「はいはい。分かったから、酔っぱらいは寝てろ」
「何でですか。折角お団子もすすきも用意したのに。雨だってやんだのに」
「せめて横になってろよ。ほら」
「うう……嫌です――……」


 ぎゅうと腕に力を込めて言われては、その腕を引き剥がすことなんて出来ない。濡れた髪と服ごしに背中に押し付けられている胸は柔らかで、やっぱり着痩せするタイプなんだなこいつ、とふと思った。と、エステルが腕の力を緩め、肩から顔を覗かせる。


「ユーリ、今、変なこと考えませんでした?」
「……何でだよ」
「何となく、です」


 ずるずると身体を滑らせ、ユーリの足の上に腹這いに寝そべったエステルは、目を閉じて長く息を吐いた。その頬は矢張り赤かった。完璧に酔っぱらっている。つい数分前までは何ら変わりない普段の少女だったのに、一体いつを境に酔ったのか。


「……寝ないんだったらちゃんと起きてろ。ほら。月、見えたぞ」


 横たわった身体を起こして自分の足の間に彼女を座らせると、ユーリは窓の向こうを指差した。ふうわり流れる薄い雲の向こう側で、淡い光を放つ黄色の丸い月。