止まらないのは、雨のせい。








バブルバリア








 かつん、と、カーテンの向こうから音がした。一つだった固い音は二つ、三つと急速に増え、さあさあと心地良い音に変わっていった。


「あ……雨」


 彼女は桃色の髪を揺らして窓を見やる。酢豚用に人参の下茹でをしていた手を止め、火を消す。カーテンをつまんで外を見たら、いつの間にか真っ暗。大雨、というほどではないが、傘なしで歩くには辛い。
 予想外れの雨。
 ということは、つまり、旦那様は傘を持っていかなかった訳で。


「……すれ違いに、ならなければ良いんだけど」


 エプロンを取って財布と携帯電話を小さな鞄に突っ込み、まだ少女の域にある奥様は家を出る。
 歩いて十分、最寄りの駅まで旦那様をお迎えに。






『雨が降ってきたのでお迎えに行きます。
 駅で待っていてくださいね』






 顔文字も絵文字も使用しなければ、可愛い飾りも使わない。文章だけのメールは事務的ではないかとよく言うが、二人のメールのやりとりは毎回こんなものだ。文字数も少なければ飾りも用いない。要件だけを伝えるもの。だが、それは余計な手間や言葉を必要としないことの現れでもあった。
 改札をくぐると、切符売場の辺りに一人の少女が立っていた。足元を見るようにして俯いて、後ろ手にカラフルなボーダーの傘を持って。


「……あ。ユーリ!」


 近くまで歩いて行くと、彼女は顔をあげてふうわりと笑う。優しい響きの声で名を呼ばれると、それだけで心が軽くなる。


「お帰りなさい」
「ただいま……って、まだ家に帰ってないのに」
「良いんです。……雨、これから強くなるみたいです。濡れちゃう前に帰りましょう」
「だな」


 駅の外は暗闇。ライトに照らされて降り注ぐ雨粒がきらきらと光っていた。ユーリはエステルに手を差し伸べる。彼女はきょとりと目を丸くして首を傾げる。催促するように手を揺らす。ますます訳が分からなそうにして、とりあえず手を乗っけてみる。嬉しいけど、違う。


「……オレの傘は?」
「え?」
「だから、オレの傘。雨が降ってるから、迎えに来てくれたんだろ?」
「はい。だから傘を差して……? あれ? ……傘……」


 エステルは後ろ手に持っていた自分の傘を見つめて首を傾げる。それからユーリを見上げ、傘を見て、ああ、と何かを思い出したような顔をしてから、困ったように笑った。


「忘れちゃいました」


 一瞬だけ呆れたが、その笑みがやっぱり酷く可愛いものだから、ユーリは呆れをすぐに忘れてしまった。


「……ま、いっか。傘はとりあえずあるんだし。ほれ、帰るぞ」
「はい」


 エステルが持っていた傘を持ち、広げる。彼女は自分の鞄を胸に抱き抱え、左にするりと入った。ぱたぱたと傘に当たっては滑る雨の音。