零れても、変わらないで。








透明指切り








 ハサミを置いて、櫛で梳かして。眉を寄せて、首を傾げて。


「……見ないでくださいユーリ。やりにくいです」


 鏡に映る青年を見て、エステルは困ったように言う。しかしユーリはけろりと言い返す、


「お前を見てんじゃねえよ、鏡を見てんだ」


 鏡に映る、お前を、だけど。
 エステルは半ば呆れたように息をつくと、再びハサミを持って桃色の前髪にあてる。しゃきり。音と共に桃色の髪がドレッサーに敷かれた紙に落ちた。
 前髪が長くなったから、切ろうと思った。偶然部屋に居たユーリは、髪を切る準備をしている時から珍しそうにこちらを見ていた。最初は何とも思わなかったのだが、ずうっと自分のことを見ているものだから、段々やりにくくなってしまったのだ。
 しかし彼はこうやってのらりくらりと自分の言い分を擦り抜けてしまうから、反論することすら無駄な行為だった。結局は諦めるしかない。


「……こんなもの、ですね」


 何度か顔の角度を変えて具合を確かめてから、エステルは満足したように息をついた。それでもまだユーリはこちらを見ているので、彼女は椅子に座ったまま肩越しに彼を振り返った。


「ユーリも切ります?」
「……んー、そうだなあ。もうこの長さに慣れちまったからなー」


 ユーリは長い黒髪を一房摘まんで唸る。切るのが面倒だ、と思っていたらこんなに長くなってしまって、それ以来ずっと短くしていない。最後にエステルくらいに短かったのはいつだかすら曖昧だ。カロルくらいの歳の頃には、もう今くらいに長かった。


「その髪は誰が整えてくれていたんです?」
「まあ……大体はフレンかな。あいつって器用だからな。しかも、何でそんなにぼさぼさになっても切らないんだ、って怒り出してな……定期的にハサミ持って切りに来るもんだから、オレは特に気にしなかった」


 特に不便ではなかったから無造作に伸びてもほったらかしにしていたのだが、自分が気にしだした頃になると必ずフレンが髪を切りにきた。彼は彼で、ユーリの髪がぼさぼさなのを見ていられなかったのだろう。ユーリは髪が整って満足したし、フレンはユーリの髪を整えられて満足したし、ある意味ではどちらにも利点がある行為であった。


「って言っても、それは随分昔の話」
「……今はどうなんです?」
「前髪くらいなら自分で整えるさ。後ろは……まあ、難しいから、気になったらおかみさんに頼んだ…………って、おい、エステル。何してんだ」


 それを聞いていたエステルは何かを思いついたような顔をして、ドレッサーの椅子を持ち上げると周りに余りものがない、部屋の中央へ持っていった。そして椅子を手のひらで示す。


「はい。座ってください」


 にっこりと笑う彼女の考えていることなんて、誰でも分かる。


「実はわたし、気になっていたことがありまして」
「気になっていたこと?」
「ユーリの髪、このへんだけ短くなっちゃってるんです。戦っていた時に切れちゃったんですよ」


 エステルが指先で摘まんだのは、右耳の後ろの一房。敵の攻撃が掠めた時、一房持っていかれたのだ。特に気にするほどばっさりと短くなった訳ではなかったから放っておいたが、どうやらエステルはずっと気にしていたらしい。


「フレンがどんな風に切っていたかは分かりませんけど、整えた方が良いと思うんです。どうでしょう?」


 言いつつもエステルはやる気まんまんなので、断ることなんて出来やしない。