響き合う死の音は、生へと。








コネクト








 ぱちぱちと爆ぜる薪の上に吊るしたケトルを取ってカップに注ぐ。両手に一つずつ持って彼の元へと足を運ぶと、剣を抱くように木にもたれて座っていた青年は、少し控え目な欠伸をしていた。


「ユーリ。わたし、見張ってますから。ユーリは暫く休んでいても平気ですよ」
「や、一度寝たら起きらんないかも知れないし。平気」
「横で欠伸されたのに、はいそうですか、って納得するのは難しいです」
「じゃ頑張って納得してくれ」


 赤い炎に照らされた長い黒髪は、明るい炎の光を取り入れて鮮やかに煌めいた。綺麗な髪。思ってエステルはその髪に触れたいと思ったが、そこでようやく両手が塞がっていることに気付いて、慌てて片方のカップを差し出した。


「はい、どうぞ。温まりますよ。熱いので気を付けてください」
「お、サンキュ」


 湯気を立てる紅茶を受け取り口を付け、余りの熱さに目を瞑る。そうして何でもなかったかのようにカップを離す。熱いって言ったのに、とエステルはくすりと笑って横に座る。


「……眠れない、か?」
「……そう見えます?」
「普段はすぐに寝ちまって、朝になるまで起きないからな。……冗談だよ、冗談」


 拗ねたような目で見られたので、ひらひらと手を振って撤回する。が、言ったことは全て事実だ。寝ると決めたらぐっすり眠り、ちょっとの物音では起きない。そんな彼女でも眠たくない時はあるだろうが、微妙な感情の変化さえ分かるようになった今では、その理由すら手に取るように分かってしまう。


「ま、旅してりゃあ色々と思うことはあるからな。寝られない日もあるだろ」
「ユーリはそういうの、ないんですか? 不安になったり、嫌になったり、しないんです?」
「全くない……ってことはないが、思ったって戻れねえしな。進むしかないなら不安になっても仕方ないんだし。って思ってたら、割と平気になった……かな」
「……逞しいんですね」
「下町育ちってのは図太いんだよ」


 口の端を持ち上げて笑ってやると、エステルもまた少し安心したように笑い、両手で包んだカップに息を吹きかけ紅茶を冷ます。鋭い息で吹き飛ぶ湯気は、夜の風に紛れて溶けていった。


「後ろを向いたら、もう前を向けないような気がしたんです。今自分がしていることは正しいのか、今までしてきたことは良かったことなのかって。必ず正しくて、必ず良かった訳じゃないのは分かっているんです。でも、振り返ったらもう立ち上がれない気がして、だからわたしはただ、歩くしか出来ないだけでした」


 過去を振り返り、学び、次に生かす。簡単なことのようで、難しいことであると知ったのは、最近のことだ。世界を救う旅だなんて。そんな重たいものを背負ったこの旅を振り返ったら、それだけで重圧に打ちのめされそうだった。
 なのにユーリは少し後ろを歩く自分を振り返り、笑ってくれる。
 いつしか自分は、それすら出来なくなっていた。
 振り返っても何もないのではないか、振り返ったら道がなくなるのではないか――根拠もないのに、そんな不安が胸を締め付けていた。


「……後ろを向いても、どうにもならねえしな。それはそれで良いんじゃねえの?」
「はい。今はただ、前を向いて進むことしかわたしには出来ないと思うし……それに、ユーリはいつでも、わたし達を引っ張ってくれるんですよ」
「引っ張ってねえよ。オレは背中をちょっとどつくだけ」


 どつく、なんて乱暴なこと言わなくたって良いのに。


「立ち止まってたってしょうがねえしな。どうにか出来ることするだけだ」
「……はい。…………、あ、そうだ。ユーリ、ちょっとわたしの背中、『どついて』くれますか?」


 エステルは何か閃いたような顔をして笑う。何か変なこと考えてんじゃねえだろうな、とユーリは目を細めた。


「色々考えてると、駄目ですね。頭がぐるぐるしちゃって。だから、わたしと手合わせしてくれません? 身体を動かしたら、少しすっきりしそうなんです」
「こりゃまた……出会った時を思い出すと出てこないような台詞言うな」
「誰のせいだと思ってるんです? 言うより行動派の人が傍に居るからうつっちゃったんですよ」


 言いながらいそいそと剣を持って立ち上がるエステルを見つめ、ユーリは目を細めて髪をかき上げた。


「ならオレの……ていうか、オレ達のほっとけない病もお前の責任だ」
「みんなのほっとけない病は最初からありました。それが表立って出ることが少なかっただけです」
「その原因を作ったのがお前、ってこと」
「まあ。それじゃ、ほっとけない病、私もやっちゃおうかしら」
「あ……ジュディス。起こしてしまいましたか?」


 テントからジュディスが出てきてこちらに歩いてくる。彼女はにこやかに笑うと、ゆっくり首を横に振った。


「いいえ。……今日は少し冷えるわね。二人で見張り、ご苦労様」
「そらどーも」
「待っててください、わたし今紅茶持ってきますね」


 エステルが立ち上がり、ケトルの近くに走っていく。ジュディスはくすくすとおかしそうに笑うと、木に背を預けた。


「ほんと、よく気付く子ね」
「『冷える』の一言で紅茶、だもんな」
「ええ。……それもだけど……私の気持ち、分かってくれてるのよ」


 その言葉にユーリが顔を上げジュディスを見上げる。細い瞳は柔らかな色。


「幸せになって欲しいと思ったの。償いとかじゃなくて。ただ……理由なんてなくて、そう思ったから。あの子はそんな私の気持ちに気付いてないけど、分かってるの」
「……何のなぞなぞだよ。気付いてないのに分かってる、って」
「言葉で表すのが難しいことが沢山あるってこと、貴方はよく知ってると思うけど」


 挑戦的な声色をしている癖に、やけに心を見透かすような言葉。エステルがカップを片手に戻ってきて、どうぞ、とジュディスに差し出す。


「ありがとう。……さ、私は貴方達に変わって見張りをするわ。すっきりしてらっしゃい」
「へ?」
「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、耳に入ってしまって。あんまり自然破壊しない程度にしてね」


 遠慮なく術技を使おうものなら、地面は砕くわ木は伐採するわで大変なことになる。肝に銘じとくよ、とユーリは剣を持って立ち上がり、宜しくお願いします、と頭を下げたエステルはその後についていく。


「……やだわ。ほんとに私、ほっとけない病みたい」


 二つの影を見つめながら、ジュディスは紅茶を飲んでから頬に手を当てて首を傾げた。
 まるで、他人事のように、演技のように。