焦がれても、消えないの?








ゼラニウム








「ユーリ。服、脱いでください」


 宿に入って、部屋を取り、部屋に入った直後。エステルがさらっと放った一言に、全員がぎょっと目を見開いたのは、特に明記しなくとも分かることである。


「ちょ、嬢ちゃん! いきなり何言い出すのよっ」
「エステル!? どうしたの、熱でもあるの!?」
「え、あの……何がです? だってユーリ、服、破けちゃってます。肩のところ」


 レイヴンとカロルがエステルに詰め寄るが、エステルはきょとりを目を瞬かせ、自分の肩を指差す。ジュディスは、ああ、と口元に手をやり、ユーリの右肩を見やる。エステルが示した部分と同じ場所だ。


「戦闘で破れたのね」
「……ああ、時間ある時に直そうと思って忘れてたんだっけか。ほい、頼む」


 しかし本人はさして気にしていなかったらしい。ユーリは上着を脱いでエステルに渡そうとして――


「待った」


 その手を、むんずと小さな手が掴む。


「……何だリタ」
「あんたね。何でもかんでも、そうやってエステルに頼まないで」


 むすっとした少女の顔。もう見慣れた、拗ねたようなふて腐れたような顔。それから言い訳をするように唇を尖らせ、


「そりゃ……言い出したのはエステルだけどね。それを全部受け入れちゃってんじゃないわよ。そしたらまたエステルに負担がかかるでしょ」
「あの、リタ。わたしはそんな、負担なんて」
「あんたも! そうやって何でもやろうとしないの!」
「何でもやろうとはしていません。わたしにも出来ないことはあるから、出来ることをやろうって思っているだけです」


 レイヴンとカロルは顔を見合せ、珍しそうにリタを見つめる。ジュディスは頬に手を当てやんわり笑うと、優しい口調でこんなことを告げた。


「リタ。そんな遠回しな表現、しなくて良いんじゃないかしら。エステルを取られるのが嫌だって、言えば良いのに」
「っ!!!」


 リタが顔を真っ赤にし、カロルが面白そうに笑い、レイヴンがおひょーとか変な声を出し、エステルはぱちぱち目を瞬かせて、ユーリはにやりと口の端を持ち上げた。


「……へーぇ、リタ、オレとエステルが仲良いから焼きもち?」
「変なこと言わないでよあんぽんたん! 誰が焼きもちなんか焼くか! あ、あたしは只ねっ、エステルがあんたの言うこと何でもほいほいきいちゃうから」
「違いますよリタ、わたしが何かしたいんです」
「あんたもそこでそういうこと言うんじゃないわよばかぁ! もう、こっち来て!」
「え、わ、リタ?」


 頭をがしがし掻きむしって叫ぶと、リタはエステルの腕を掴んで大股で外に出て行く。エステルは目を丸くしながらリタと皆を交互に見るが、リタは全く足を止めてくれないので、もつれながらも着いて行く。


「取られちゃったわね」
「……わざとだろ」
「あらやだ、何のこと?」
「とぼけんな。嘘は、…………苦手、だっけ?」
「ええ」


 にっこり笑うクリティア族の女は、それは面白そうに笑った。ユーリはため息をつくと、行き場のなくなった上着を見つめて、どうしたものか、と首を傾げた。






「あの、リタ、どこ行くんです?」
「どこでも良い! 暫く宿には帰らん!」
「あの、でも……わあ、リタ!」
「え? っうわ!」


 ずかずかと町を歩いていたら、後ろでエステルが歓声を上げて、引っ張っている筈の腕をぐいと引っ張られた。


「見てくださいリタ、この花、可愛いです!」
「花? ……あー、へえ、綺麗な色。見たことない花だわ」


 道端に咲いていたひらひら揺れる花。エステルがにこにこ笑いながら花の前にしゃがむので、リタは彼女を引っ張っていたのを忘れて隣にしゃがむ。


「……あ……ユーリの服、直さないまま来ちゃいました」


 なのに思い出したようにそんなことを言うから、リタはまた腹のあたりがむかむかしてくるのを覚えた。
 何であいつの名前ばっかりなの。
 いや、良いんだけどさ。
 焼きもち、とか。
 そんなんじゃないのに。


「……ねえ、エステル」
「はい?」
「ユーリはあんたのこと、殺そうと思ってたのよ」
「……はい」
「それでも、良いの?」


 自分でも馬鹿なことを言っているとは思っている。でも、ユーリは彼女を手にかける覚悟をしていた。だから一人で帝都に行こうとしたし、彼女と本気で戦った。
 そしてエステルの頬には、一筋の刃の後が残っている。ユーリと戦った時の傷だ。


『……これは、わたしの弱い意思が生んだこと。この傷を治癒してしまえば、みんなが私を助けてくれたことに甘えてしまうから』


 当然のように言われてしまってリタは何も言えなくなった。だが、それが彼女の決めた道だ。彼女を止める道理など、どこにもなかった。


「良い……とか、ではなくて。わたしもリタ達を殺そうと思っていました」
「でもそれはあんたの本当の意思じゃなかったでしょ」
「本当の意思ではなくとも、私の心はそうやって動いていたんです。操られていたのでも、わたしがそう動いたことに変わりはありません。ユーリはわたしを止めようとしてくれたんです。……わたしが一番悲しくない方法だったんです」


 悲しくない、方法。
 何か聞きたくない言葉が出てきそうな気がして、それでも聞いておかなければならない気がして、リタは唇を噛んで次の言葉を待つ。そうしてエステルは続けた。


「わたしがみんなを殺す前に、ユーリに殺して貰えれば、一番悲しまずに死ねました。ユーリを悲しませることになるけれど、それも少しのことです。ユーリは大丈夫です。わたしが死んだくらいで、目的を忘れたりはしません」
「……な、に……あんた、何、言ってんの」
「思ったんです。わたし、あそこで死んでいても、それはそれで幸せだったのかも、って。それで全てが解決するなら」
「やめてよ!」


 聞いておかなければならない。彼女の覚悟を、彼女の思いを、受け止めなければならない。分かっていたが、耐えられなかった。リタは滲む視界の中で半ば手探りでエステルの肩を掴み、揺さぶった。突然のことにエステルは目を丸くして、地面にぺったりと尻をついた。


「死んじゃってどうすんの、あんたがそんな覚悟してて、どうしてあたし達あんたを助けなきゃいけなかったの!? エステル死なせたくないから助けたかったのに、エステルが死ぬ覚悟してたらどうしようもないじゃない!」
「………………、……全て、解決するなら。良いって、思った筈なんですよ」


 責めるような口調になってしまったのに、返って来たエステルの言葉は酷く優しかった。リタがゆっくり顔を上げる。その拍子に頬を涙が伝った。


「でも、何も解決しないってことも知っていました。『死んだって良いなんて二度と言うな』……ですもの。何度も何度も諦めたのは本当です。でも、みんなは私を助けてくれました。だからわたしは、もう諦めたりしないんです」


 そうしてエステルは指先でリタの涙を拭うと、その頭を肩に引き寄せて、あやす様にゆっくりと叩いた。


「……ありがとうございます、リタ。わたしは大丈夫です。わたしのために泣いてくれてありがとう。助けに来てくれてありがとう。生きていることを喜んでくれてありがとう。大好きですよ」


 ああ――どうしてこの子は、こんなに優しくて、甘いのか。
 堪えていた涙は嗚咽と共に溢れ出し、温かなエステルの肩口を濡らした。