三十分ほどが過ぎただろうか。ジュディが変なこと言うからだ、と理由をつけて、こっそりエステルとリタを捜しに町へ出たユーリは、エステルの膝の上で眠っているリタを見付けた。


「……お前ら、こんな所で何してんだ」
「しー。リタが起きちゃいます」


 唇に人差し指を当てて、エステルがこちらを見上げる。音を立てないように隣に座ってリタの顔を覗き込むと、頬にうっすらと涙の跡があった。


「わたしのために泣いてくれたんです。……誰かが泣いてるのは悲しいことなのに、わたし、とても嬉しくて。やっぱりわたしは生きていて良かったって、思えたんです」
「……こいつ、エステルのこと凄え心配してたかんな。今になって、色々と緊張が解けたんだろ」


 いつも気丈に振る舞ってはいたが、心の中ではずっと泣きたかったに違いない。
 実は、エステルを助けた後、ユーリはリタにこっぴどく叱られた。
 戦うしか方法がないのはリタも分かっていたのだろうが、それでも自分の感情が抑えられなかったのだろう、どうしてエステルと戦ったのかと小一時間説教された。言い返しても仕方ないし、言い返すには良い言葉も思いつかず、ユーリは彼女の説教を素直に聞いていた。だがリタも、説教をしてもどうしようもないと分かっていた。次第に瞳を潤ませ声を震わせていった彼女は、でもエステルが助かったからもう良い、と言い放って踵を返した。
 損な役回り、とは、こういったことも言うのだろうか。
 だが、別段損とは思わない。
 剣を交えることで彼女の苦しみを理解出来たのだから、損どころか得をした(不謹慎だが)。


「……ユーリ。あの……身体、大丈夫ですか?」
「え?」
「わたしと戦った時の傷。まだ痛むでしょう?」


 リタを起こさないように、エステルは小声で問う。術技を使う度に彼女の生命力が削られる――それを知っていて治癒術を使わせることなど出来ず、ユーリは追った傷を治癒術で治して貰おうとは思わなかった。血は流れたし切り傷も沢山出来たが、死ぬほどではなかったし、自分で手当て出来るくらいの怪我だった。今も身体のそこかしこに包帯が巻かれているが、身体を動かすのに支障をきたすほどの怪我でもない。


「……正直、確かに痛むな。でもま、気にするほどでもない。こんな傷、日常茶飯事だ」
「傷を作ることを日常にして欲しくはないですよ」
「お前が言うなよ。ほっぺたの傷治さないで……お前女の子なんだから」
「良いんです。治癒術を使ってこの傷を治しても、仕方ないですから」


 生命力が削られる、とは言っても、使いすぎなければ命に関わる訳ではない。他人の傷を癒すならそれだけで済むが、自分の傷を癒しても自分の生命力が削られるだけなので、効果は余りないのだ。


「ユーリがつけたんですからね、これ。責任取ってくださいよ?」


 茶化すようにエステルが笑うので、ユーリはつい苦笑する。あの時の事をこうやって笑い話に出来るほど、彼女は強いのだ。笑い話に出来るような出来事ではないけれど、それでも軽口を叩けるようになれるのならその方が良い。


「……責任、ね」


 もう何日かしたらうっすらとした傷痕になるであろう、頬の直線。その傷がある頬とは反対の頬に手をやって、じいと傷痕を見つめる。


「へ…………?」


 何かと思ってエステルがじっとしていると、傷痕を柔らかなものが掠める。エステルの瞳が見開かれるのを間近で見つめて、彼女の瞳の色が酷く綺麗なものであるとユーリは再確認した。そうして何もなかったかのように顔を離して手も離す。


「早く治るように、な」
「……い、きなり、そういう」
「あんまり動くとリタ起きるぞ?」
「っ、…………何でそう、意地悪ばっかりですか」


 真っ赤にした顔を背けたエステルは、風で乱れたリタの髪をそっと指先で直し始めた。


「オレは意地悪されてる立場なんだけどな」
「何がです?」
「服直して貰おうと思ったら、阻止されるし」
「あ……そうでした。あれ、後でちゃんとやっておきますから」
「リタにばれないように、な」
「そうなんです?」
「知ってるか。こういうことの最大の壁は、女の親友らしいぞ。つまりオレの最大の壁はリタだ。と……ジュディが忠告した」
「…………はあ……?」


 こういうこと、って、何ですか?、という顔をしていたが、それは無視することにした。


『リタはエステルを簡単に渡してはくれないと思うのよ。だから、どうやって奪うのかしらって、ちょっと期待しちゃうのよね』


(……あいつは何でいつもいつも)


 思い出しただけで口がへの字になりそうになる。だが、ジュディスの言い分は正しい。奪い去るくらいの覚悟がなければ、リタには勝てそうにない。自分が術がめっぽう駄目なことをリタはよく知っているから、術で攻めてこられたらひとたまりもない。その前に接近戦に持ち込めれば、……いや、そうやって奪ったとしてもエステルは喜ばないし。


「そろそろ真剣に考えねえと、駄目かなあ……」
「……だから、何がですか」
「思わぬ強敵相手にどうやって獲物を仕留めようか、考えてるんだ」


 すうすうと小さな寝息を立てて眠る少女は、そんなことは一切知らずに眠り続けて。
 三人の隣で小さな花が風に揺れる。









 ゼラニウム/君在りて、幸福
 リタは最大の壁です。と信じて疑いません。