過去捏造+色々と暗くて病んでます。













 愛して、壊しても、愛は愛。








朽ち往きて、枯れぬ








 暖かで、柔らかで、いつでも望む声が後方から聞こえる。じくじく痛む腹部の傷が、彼女の声で癒されていく、その予兆だ。その声だけで痛みが消えたような気がして、ユーリは鋭い瞳で目の前の魔物に集中する。握り込んだ剣で魔物を切り裂き、身体を回転させると同時に次の獲物を捜す。


「エステル! だめ、横!」


 リタの甲高い悲鳴が鼓膜を震わせた。視界の端、淡い光に包まれた少女の瞳が、リタの叫びに開かれる。すぐ脇に迫っていた魔物を翡翠の瞳が捕らえた。小さな足が肩幅に開かれ、ざり、と砂が音を立てる。エステルの方に走りかけていたユーリは、その行動を見て足を止める。詠唱をやめて反撃をするのだ、と判断した。
 が、彼女の行動は変なところで自分の考えを裏切るのだ、と、ユーリはこの時初めて自覚した。


「……、っ! ファースト、エイド!」


 聞き間違いをした気がした。だが、少女の唇が紡いだ言葉は光に変わり、自分の腹部の傷を瞬時に癒した。迫りくる魔物の牙をぎりぎりのタイミングで交わし、反撃に出ようとしたところでまだ幼さの残る顔が苦しげに歪む。足ががくりとバランスを崩した。


「ちょっ、ばか……!」


 リタが布を取り出して魔物目掛けて全速力で走る。
 ああ、またやってしまった――再び迫る魔物の牙を見つめ、エステルはやけに冷静に思った。でも意識さえ繋いでいれば、治癒術を使える。盾を持ち上げる時間はない。痛みを覚悟して歯を食いしばる。


「どけ、リタ!」


 ……何でユーリの声がこんなに近くでするんでしょう。足を止めていたんじゃなかったんでしたっけ。
 頭の隅で呑気に考えた瞬間、ぎゅうと閉じた視界が更に真っ黒になった。日の光が閉ざされた感覚にそっくりだ。頭を掴まれ、顔が何かに押し付けられる。身体が傾いて、固い地面に背が付いた。生々しい何かを割く音に、水音と、それから耳元でくぐもった声。


「ちょっと! 何やってんのよあんたらはっ!」


 顔にあった圧迫感がなくなった。仰天して開いた目に映るのは、魔物を倒して布をぱしりと巻き取ったリタの青ざめた顔。
 少し目線を下に向けると、黒い物体。身体にのしかかる重み。ああ、ユーリの肩だ。判断して、身体を起こそうとユーリの肩を掴むと、ぬるりと手が滑った。


「――、あ」


 脂汗を額にびっしりと浮かべた青年は、溢れそうな苦痛の声を堪えようとしているのか、閉じた瞳を震わせていた。
 どうして、背中を怪我して、わたしの上に居るの?
 さっき怪我を治したのに、どうしてまた怪我をしているの?
 途切れそうになる意識を唇を強く噛んで繋ぎ止め、胃から押し寄せるものを堪えるように一度だけきつく目をつぶり、エステルは血に濡れた手で彼の背に触れた。






 何でもない戦闘の筈だった。
 ユーリの腹部を掠めた傷を癒すために、治癒術を唱えていた。
 リタの叫びで魔物が近くに迫るのを知った。だが、自分が傷付くより早く、彼の傷を治したかった。
 こんなの掠り傷だ――と、彼はきっと言うだろう。実際、そこまで深い傷ではなかった。だが、それでも彼が傷付く姿を見たくなかった。
 そうして詠唱が間に合ったことにほっとして、魔物の存在を忘れた。
 攻撃を交わしたのに、術を使ったことで身体に負担がかかったのか、足がぐらついて尻もちをついた。そうして気付いたら、ユーリが覆い被さっていて、自分を庇って傷を負っていた。
 何でもない戦闘の、筈だったのだ。






 頭に酸素が行き届いていない。そんな感覚に似ている。気持ちが悪い。震える喉で大きく息を吐き出すと心なしか楽になったが、また息を吸い込めば同じことの繰り返しだ。


(……また、わがまま、言っちゃった)


 言ってはいない。言ってはいないのだが、仲間達は自分の心情をよく理解していたようだった。今は落ち着いた呼吸で眠るベッドの上のユーリと、床にぺったり座って頬をベッドに預けている自分。部屋に存在するのは二人だけ。
 戦闘中にユーリに治癒術を使った時点で足をふらつかせたのに、更に治癒術を使ったのだから、生命力はかなり削られていた。本来ならば自分も横になった方が良いのだろう。身体は横になれと訴えているし、仲間達が心配そうな顔をするほど自分の顔色は悪いようだった。だが、自分が招いた事態だ。彼が起きるまで、横になんてなれなかった。
 口には出さなかったが全て仲間達は察していたようで、それなら気が済むまで看病してやれ、と苦笑してから部屋を出て行った。本来ならもう一人くらい看病する存在が居た方が良いのだが、エステルの心情を察してしまえばそんなこと出来る訳がなかった。
 不快感から込み上げる吐き気を咳でごまかし、ベッドに頭を乗っけたままエステルは瞳を動かす。汗も引いて、苦しげな吐息も消えた。大怪我をしていたのが嘘のよう。


「……どうして、庇ったりしたんでしょう、ね」


 心の中では分かっているのに、受け入れたくはなかった。
 わたしのことを庇って誰かが傷付くとか。
 わたしのために誰かが何かしてくれるとか。
 それがユーリであることが不思議だとか。
 ……生命力が削られる行為と分かっていても惜しみなく力を使える、こんなことを言ったら怒られるけど彼を助けられるなら自分の命が消えても嬉しくて、そんな思いを抱く自分が不思議だとか。
 受け入れ方が分からない、思いばかり。