階段を下りて行くと、何やら酒場の中が騒がしかった。何かと思って入ってみれば、見慣れた騎士の後ろ姿。


「……フレン?」


 何でこんなところに。いや、居ても不思議じゃないけど。時々下町に来ているんだし。呆然と突っ立っている自分に気付いたのか、人々と話していたフレンはこちらを向いて目を細めて笑った。


「やあ、ユーリ。……何でこんなところに、って顔してるな。歓迎されてないのか?」
「じゃ、なくて。下町に来る余裕、あんのかってことだよ」
「何言ってるんだ、エステリーゼ様が下町で一ヶ月暮らすという話を聞いたんだ、様子を見ずには居られないじゃないか! エステリーゼ様はどちらにいらっしゃるんだい? まさか一緒の部屋で過ごしているんじゃないだろうね! エステリーゼ様は旅をされたと言ってもまだまだ世間知らずな部分は多いんだ、特に」
「お前はエステルの父親かよ! そんなこと確かめるために来たってのか!?」
「そんなこととは何だ、僕がどんなにエステリーゼ様のことを心配していると」
「そりゃエステルを心配してんじゃなくて、オレを信用してないってことだろ!」


 長年の付き合いとは、時にややこしい事態を招く。気真面目な性格故か、それともエステルに対して過保護だからか、どうもフレンは自分とエステルの関係を心配している。そんな事態に発展するほどエステルは情事に詳しくないし、抑もそんなこと考えてもいない。


「心配すんな、お前が思ってるようなことは当分起こりそうにないから。あいつの部屋はオレの隣。今なら部屋行けば居るぞ。暫くすれば降りてくるけど、顔出してくれば?」
「いや、ここで待っているよ。そうか。心配はないか。……良かった。君がエステリーゼ様に手を出しているんじゃないかと思うと、僕は胸が張り裂けそうで……」
「……お前、オレを馬鹿にしに来たんだろ? なあ、そうだろ?」


 怒りに頬をひくつかせながらユーリがフレンを睨み付ける。こいつ、なんか前よりすっげえ腹黒くなってるような気がすんだけど。


「お待たせしました、ユーリ……あ、フレン! フレンではないですか!」
「エステリーゼ様! お元気そうで何よりです」


 下町の人々は二人のこんなやり取りは日常茶飯事なので何とも思わない。やれやれ、と人々が肩を竦めた時、酒場の扉が開いて桃色の髪の少女がやって来た。エステルはフレンを見るとぱあと瞳を輝かせ、彼の前に駆け寄った。


「下町で暫く暮らすという話を聞きまして。……本当に、平気ですか? ここの暮らしは、お城での暮らしとは全く違いますよ」
「旅を始めた時から、全然違う暮らしでしたよ。それに、ここは素敵なところです。暖かくて、ふんわりしてて、わたし、とても楽しいです。あ、これ、この服、どうです? 似合います?」


 スカートの裾を指先でつまんでひらりと一回転してみせると、フレンは少し身体を屈めて彼女の目線に合わせるようにすると、笑って答える。


「ええ、お似合いです」
「本当です? この服、ユーリがくれたんです。どんな服が良いのか分からないって言ったら、買ってくれたんですよ」


 その瞬間、フレンの笑顔の裏側で、ぴしりと何かが音を立てたのを、ユーリだけは気配で察知した。
 ……とても誤解を招く言い方だが、彼女の言っていることは本当だ。下町で暮らすのは良いが、どんな服で居れば良いのかが分からない、という彼女に、何にでも合わせられるような服を買ってやっただけ。彼女に似合う服なんて分からないし、第一女性に贈り物をしたことすらないものだから、どんな服を用意すれば良いのか分からなかった。だから、何の変哲もない、簡素な作りのブラウスとスカート。だが彼女はとても気に入ったらしく、本当に嬉しそうにしていたので、無難なものを選ぶのではなくもっと真剣に選ぶべきだったかと後悔したものだ。


「……あー……えーと……フレン。まず、深呼吸してくれ。で、オレの話を」
「ユーリ。ちょっと僕と表に出ないかい」
「…………聞く気なし、と」


 こいつ、ほんっと、過保護。ちょっとむかつく。






「あの、ユーリ……大丈夫です?」
「何が?」
「フレン、先程とても怒っていたようですけれど……帰る時にはそうでもなかったみたいですが、何かわたし、いけないこと言いましたか?」


 その後、ユーリは何とかフレンの誤解を解き(説明に十分ほどかかって、その間に三回ほど剣を抜かれたが)、とにかく大丈夫だから心配すんな、と締めくくった。フレンもエステルが頑固なことは知っているから、城に戻るよう説得しても無駄なことは分かっているようだった。何か困ったらいつでも頼るようにと言って、フレンは城へと戻って行った。


「気にすんな。あいつがちょっと勘違い起こしただけで、お前は何も悪いこと言ってねえよ」
「……そうなんです?」
「あんな気真面目、ちょっとからかってやりゃ良いんだよ」


 そのとばっちりは自分に来るのだが、色々と言っておかなければフレンはずっと過保護なままだ。隣の部屋で暮らしているというだけであの様子だったのだ。共同で洗濯している(彼女の下着を見ることに繋がる)とか、たまに一緒のベッドで寝る(疾しい感情は何一つない)とか、そんなことを言ったら激昂して抜刀するに違いない。


「さーてと……今日の夕飯は何にするかね」
「あ、わたしキノコの入ったパスタが食べたいです。タリアテッレで」
「……あったらな」


 この前はコンキリエのサラダで。昨日はレープクーヘンを作っていた。出会った頃は料理の方法すら分からなかった彼女は、今では様々な料理を作れるようになっていた。山積みの本の中には料理の本も多くなっていったし、下町の人々に料理を教わっては試したりしている。この分なら、ハルルで一人暮らしをしても大丈夫そうだ。


(あれ)


 安心して――違和感を感じた。ぴたりと足を止めたユーリに、エステルが首を傾げる。


「……ユーリ?」
「あ? ……いや……タリアテッレなかったら、スパゲティで良いかな、って」
「わたしはリングイネが良いです」
「……知らねえよ」