ED後・過去捏造です。













 一ヶ月間、お世話になります。








Der Stern Funkelte








 一分ほどの挨拶の締めくくりに、少女はそう言って頭を下げた。ただ頭を下げただけなのに、腹部の前で組まれた手や揃えられた足先のせいか、隣に立っていたユーリには酷く優雅に見えた。……こんな会釈、何度も何度も、見慣れるほどに見てきた筈なのに、改めて見てみるととても整ったものだったので、やっぱりこいつお姫様なんだなあ、と思ったりもした。


 ユーリの部屋の隣。
 そこに彼女は、これから一ヶ月下宿する。








「ユーリ! 朝ですよっ、起きてください!」


 少し強めに肩を揺すられたが、起きたくないものは起きたくない。掛布を頭まで引っ張ったら、その掛布をむんずと掴まれ、予想外の力でひっぺがされた。すっかり忘れていたが、彼女は細いながら鍛えているので、結構腕力があるのだった。


「明日は良い天気になるから早くに起きてお洗濯するって、わたし昨日の夜に言いましたよ。ユーリだって、分かった、って言ったじゃないですか!」
「いや、それは昨日の話であって……」
「昨日と今日は繋がってるんです! 早くに始めれば沢山お洗濯出来てすっきりするんですから!」


 ぎりぎりと掛布を引っ張り合う。今に掛布が切れる、とラピードは扉の近くで呆れて目を閉じた。


「もう、はーなーしーてーくーだーさ……っひゃ!」


 その瞬間ユーリが掛布からいきなり手を離したので、エステルは勢いよく床に背中から転げた。


「……ユーリ、何でそうわたしに意地悪ばっかりするんです」
「意地悪したくなるんだよな。面白いし」
「わたしは面白くありません」
「うん、だろうな。オレが面白いってだけだし」


 あっけらかんと悪びれもなく言われてしまっては、反論する気も失せてしまう。この繰り返しだ。それでもこれらを繰り返すのは、結局こんな関係が日常になっているからだ。


「まあ良いや、オレも洗濯しようと思ってたのは事実だし。ほい、頼む」
「はい。他に洗うもの、あります?」
「何、今ここで脱げって? オレは良いけど」
「わたしは全然良くありません」


 真顔できっぱり言われ、潔いほど首を横に振られた。……前は、こう、もっと……真っ赤になって『わたし、外で待ってます!』とか言ってたのに。
 下町の人々が着るような、簡素なブラウスにスカート。常に上品な振る舞いをするから衣服も上品なものでなければ似合わないのかと思ったが、意外にも(とユーリは思っている)簡素な作りの衣服は彼女の少女らしさを引き立てていた。


「それじゃあ、下に持ってきてください。わたし、先に洗ってますから」


 洗濯物を沢山詰めた麻の洗濯籠を持ち上げ、エステルはユーリの部屋を出て軽い足取りで階段を下りて行った。途端に子供達の大きな声が聞こえてきたものだから、町の有名人は大変だ、とユーリは肩をすくめて着替えを引っ張り出す。
 エステルが下町にやってきてからそろそろ一週間が経つ。以前人々を治癒して走り回ったからか、彼女が下町で暫く暮らすと聞いた人々は連日宿屋に詰めかけ、その度ユーリが追い払うのだが、結局エステルは人々に会いに下町を駆け回った。人と話すの好きなんです、とにっこり笑うものだから、こいつこのまま下町で暮らせば良いのに、とユーリは何度も思った。
 けれどずっと下町に留める訳にもいかない。彼女は下町を出たらハルルで暮らす。童話を作り、子供達に読み聞かせるためだ。下町でも出来るじゃないか、と一度話したことがあったが、エステルは微笑んでゆっくり首を横に振った。


『ハルルの樹の下で、最初の童話を書きたいんです。わたしに夢を教えてくれた、あの樹の下で作りたいんです。……でも、出来上がったら、一番にユーリに見せに行きます。約束しますね』


 彼女が頑固であることは嫌というほど知っているから、止めはしない。
 止めは、しないけど。


「……オレもハルルで暫く暮らせば良いのかねえ」


 小さな呟きに、相棒が一声吠える。






「ユーリの服って、大きいですよね、やっぱり」
「大きくなかったらまずいだろ」
「そうじゃなくて。……ああ、わたし、一度ユーリの服、借りたことありましたよね。寝る時に。あれ、大きくて大きくて」
「ありゃお前が悪い。蛇口が上向いてんのに思いっ切り水出して」
「あれは! 夜に起きちゃったから、寝ぼけてたってだけで!」


 エステルが手を止めたところでポンプを押す。出てきた水で衣服に付いた洗剤を落とし、軽く絞って籠に。宿の廊下に吊るした縄にぶら下げて終わり。カーテンのように大量にぶら下がった洗濯物からは、風が吹く度に洗剤の柔らかな匂いがした。


「すっかり手際よくなったな」
「旅をして、色々と勉強しました。お料理も、お洗濯も。知っていて当たり前のことを知らなかったのが恥ずかしいくらいですよ」


 赤いサンダルに彩られた足元に、洗濯物の影が被さる。この少女が帝国の姫君であると知っているのは、下町でどれくらいの割合だろうか。……口に出さないだけで、本当は誰でも知っているのかも知れないが。


「じゃあユーリ、わたし支度をしてくるので、待っていてください」
「……何の話だ」
「お買い物です」
「いつそんな話したんだ?」
「してませんけど。でも、フレンが前に言っていたんです。お洗濯が終わったら、乾くまではいつもお買い物していたって」


 そういえばそうだった。纏めて洗濯をしたら、乾くまではいつもフレンと買い物に行っていた。まあ、買い物という名のひやかしだ。特に何かを買うこともなく、買うと言ったら食糧くらいで。
 貰った果物を賭けて勝負しても、やっぱり自分はフレンに勝てなくて。
 でもフレンは、必ず果物を半分に割って、自分にくれた。


「羨ましいです。わたしにはそんなこと出来なかったし、お友達も居なかったから。だから、ユーリ達と旅が出来て、本当に嬉しかったんです。わたしにもやっとお友達が出来たんだって」
「フレンは友達じゃなかったのか?」
「わたしはそう思いたかったし、フレンもそう思ってくれてはいたと思います。だけどわたしは一応姫で、フレンは騎士で。難しいんです。やっぱり、本当のお友達にはなれませんでした」
(……まあ、フレンなら、なあ)


 聞く限りよく話していたそうだから、フレンだってエステルのことを友人と思っていただろう。だけどフレンのことだ。下町出身で騎士という身分の自分が姫君の友を語ろうなど、と思ったに違いない。まあ自分だって彼の立場だったらそう思うだろうが。


「そうだ、ユーリ。下町でどんな風に暮らしていたのか、教えてくれます?」
「買い物しながらな。ほら、用意してこいよ。オレは下で待ってるから」
「はい! すぐに行きますね!」


 ふわりとスカートを翻し、少女はユーリの隣の部屋の扉を開ける。ここが現在の彼女の部屋。机には本が山積み、部屋の隅に置いてある、下町の住人から貰った空き箱の中にも、本がぎっしり。彼女の部屋を覗くとなぜか一冊は本が増えているような気がするのは、多分気のせいではない。


「……一ヶ月経って、部屋の床が重みで抜けてなきゃ良いけどなあ」


 冗談とするには現実的な発言に、相棒がぶるぶると首を振った。