揺るぎない信念を持つなんて、容易い筈だったんだ。








翡翠の瑪瑙花








「エステル。お前、今から二十四時間、治癒術使用禁止」


 いきなりのユーリの宣言に、言われたエステルだけでなく周りの仲間達も目を見開いた。
 エステルはきょとりと目を丸くしてから、彼の言葉の意味を頭の中で整理し、


「ええ!? ど、どういうことですユーリ!」
「言った通り。今から二十四時間、治癒術は使うな」
「どうしてです? だって、魔物がいつ出てくるか分からないのに」
「酷い怪我だった場合は許可する。でも掠り傷とか、その程度なのに治癒術使うとか、そういうのはやめろ」


 娘に門限を与えた父親みたい、と仲間達は思ったが、口には出さなかった。


「でもユーリ、それって危ないんじゃない? 怪我してもグミでどうにかするって言ったって、限度があるよ」
「それだ、それ。そういう意識があるのが危ないの。エステルの治癒術に頼って、酷い怪我負ったって死なねえって考える。それが危ないっつーこと」


 カロルの問いにすかさず答えを返す。そう言われれば、納得せざるを得ない。が、一番の被害者は治癒術を持つ当人であった。
 騎士団仕込みの剣技はある。だけど、それだけでどうしろと。と言うか、どれだけ上手く戦ったって、傷はいつか負うものだ。それを癒すことの出来る力を封じられるなんて。


「もしそれが嫌だってんなら、対象はオレだけにしても良い。……いや、そうするか。オレに治癒術を使わない。二十四時間だ。それなら出来るだろ」
「そ、そんな……」


 しかしエステルは反論出来なかった。彼を納得させられるような言葉が浮かばなかったのだ。






 そんなこんなで、治癒術禁止令は始まった。
 幸いなことに誰も大きな怪我を負うことはなかった。ただの『治癒術禁止』ではなく、『ユーリへの治癒術禁止』となったため、他の仲間達に治癒術を使うことはあったが、ユーリには決して使わなかった。これまた幸いなことに、ユーリも掠り傷程度しか負わなかったので、エステルだけでなくカロル達もこっそり安堵していたのだ。


「……あら……雨」


 禁止令発令から二時間ほどが経過した頃だった。西の空から近付いてきていた黒い雲が頭上へと到達し、ジュディスの鼻先にぽつりと一滴の粒が落ちてきた。


「あーらら。どうすんのよ、この辺雨宿り出来るとこ、ないよ?」
「仕方ないなあ……テント張って凌ぎましょう。どうせまだ次の街まで遠いんでしょ」


 レイヴンが大袈裟に肩を竦めて言うと、リタが荷物の中からテントを取り出す。黒い雲はすぐには晴れそうになかったし、このまま進んでも体力が奪われるだけだろう。


「……? ユーリ、どこ行くの?」
「あ? いや、ちょっとな。悪い、すぐ戻っからよ」


 皆がテントを張る準備をする中、ユーリが踵を返す。不思議に思ったカロルの問いに曖昧に答えると、ユーリは軽く笑って小走りに森の中へと行ってしまった。


「ええっ、ちょっとユーリ! ……行っちゃったよ」


 まあすぐに戻ってくるだろうからいっか、とカロルは肩をすくめてテントの留め具を取り出した。それを見ながらエステルは、ユーリが走って行った方とテントを交互に見て、眉を寄せる。


「気になるなら行きなさいよ。そわそわされてちゃこっちが落ち着かない」
「……リタ」
「あいつに風邪ひかれたら、こっちだって困るんだから。さっさと連れ戻してくるの!」


 大袈裟に溜め息をついたリタは、ひらひらと手を振って行くように促す。半ば押しやられるようにして、エステルはユーリを追いかけ森の中へと走って行った。