3 「ふうふげんかはいぬもくわない」
「成程……二人が喧嘩してもう数日経つ、と」
ことの経緯を説明すると、フレンは難しそうな顔をして少し唸った。フレンと父は古くからの知り合いだし、彼なら父のことをよく知っている。
「最近、お父さんとお母さんの間に何かあったとか、そういうの知らないですか?」
「ということは……エステリーゼさんには、心当たりはない、と」
「はい。二人の喧嘩はそう珍しくないんですけど、毎回原因は分かっていたんです。でも今回は正反対。原因も分からないし、喧嘩も長いし……」
おかしい。現状を打破するために行動を始めたのに、説明を繰り返すごとにどんどん気落ちしていく。自分が俯いていることを自覚したエステルは、慌てて顔を上げてフレンの瞳を見つめた。下を向いちゃいけない。わたしはお父さんとお母さんを仲直りさせるのだから。
「そうですか。……僕は二人が喧嘩していることすら知らなかったから、原因も分かりません。けれど、ユーリは理由なく喧嘩を始めたり、喧嘩を買ったりすることはそうないですから、何か原因はあるでしょう」
「フレンも心当たり、ないんです?」
「残念ですが。ユーリは今日、仕事が休みではないのですか? 直接訊いてみてはどうでしょう」
「それが……訊こうと思った時には出かけてしまっていて」
父はよく、行き先を誰にも言わないでふらりと出かけることがある。そして夕暮れ時になるとまたふらりと帰ってくる。それが何度も続くものだから、皆それに慣れてしまって、誰も何も言わなくなった。居ない時があっても、必ず夕食前には帰ってくるのだから、何も心配することはないのだ。今日だって気付いたら居なかったけれど、夕食前には戻ってくるのだろう。
「……隠し事をしている、とか」
「え?」
「いえ、ユーリは一人で何かを背負い込むことがありますから。しかもその隠し方が上手い。それを見抜かれて喧嘩した……というのも考えられると思って」
「確かに……お母さんは勘が鋭いです。お父さんが隠し事しててそれに気付いて……ありえます!」
あれはいつだったか。父が車に轢かれそうになった子供を助けて、肘やら膝やらに大きな擦り傷を負ったことがあった。丁度母は買い物に出ていたので、自分や弟が大慌てでその治療をしたのだ。幸い擦り剥いただけだったので病院に行くことはなかったが、「母さんにはこのことを言うな」と父に言われ、自分達はどきどきしながら母の帰りを待った。
当然だが、長く隠すことは出来なかった。と言うより、その日の夜にばれた。母はまず、父の行動を称え、しかしすぐさま父の頬に手加減なしの右ストレートを叩き込んだ。にっこり笑った母は、それきり怒鳴ることも悲しむこともしなかった。やけに晴れ晴れした笑みだったから、伝えたいことは拳で伝えたのだろう。恐ろしい親を持ったものである。
「よかれと思って行動しても、ジュディスちゃんはそうはいかない、と。なのにやっちゃうんだねえ……」
「お父さんは優しいんですよ。怒られても、お母さんを悲しませたくないんです」
あの時だって、きっと母を心配させないように黙っていたのだ。殴られても、悪かった、と素直に頭を下げた。たったそれだけ。たったそれだけのやりとりが、二人の全てだったのだろう。
「もしかしたら、今回の喧嘩も、お父さんがお母さんを悲しませたくなくて何か……」
そこまで言って、エステルはふと自分の言葉に疑問を抱く。
悲しませたくない?
悲しませたくないから、お父さんはお母さんと話そうとしないのかしら?
「……フレン、レイヴンおじさん、ありがとうございます。わたし、何だか元気が出ました!」
エステルは緑茶を一気に飲み干し、急いで荷物をまとめ始めた。それを見てレイヴンは目を見開く。
「あら、嬢ちゃん、帰るの?」
「はい。わたしやっぱり、お父さんとお母さんには仲良しでいて貰いたいです。ちょっと怖いけど……二人に、直接聞いてみます!」
失礼します、と頭を下げて、エステルは小走りに部屋を出て行った。それを見送ってから、フレンは肩をすくめて苦笑した。
「ユーリは幸せですね。あんなに思ってくれる娘さんが居て」
「ほんとにねえ。……さて、そんな幸せものの親友はなーんでこんなところに来たのかしら?」
こんなところ。先ほどの自分の発言を根に持っているらしい。しかし、それとは別の意味が含まれているのも確かだ。この男はそういう男だ。茶化すようなことを言って、その中に真実を隠してしまう。
「……実は……そのユーリの指示で」
「やっぱりねえ。こんな好青年が、こんなおっさんのむさ苦しい部屋にいきなりくる訳がないと思ったわ」
「あ、いえ、ですから、それは……本当にそういう意味で言ったのでは」
「分かってる分かってる。やー悪かったわ、しどろもどろになってるのが可愛くて……冗談よ。大将がどうしたって?」
どこまで本気なのか、という目でレイヴンを見たフレンは、促されてことの経緯を語り出した。そしてレイヴンが呆れて息をつくまで、そう時間はかからなかった。
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