2 「としうえにいけんをもとめる」








 午前十時半。お気に入りのワンピースを着て、エステルは外に出た。目指すは歩いて一分、すぐそこのアパートに住む相談員。


「嬢ちゃんいらっしゃーい。待ってたわよー」
「こんにちは、レイヴンおじさん。お休みの日なのにごめんなさい」


 インターホンを鳴らすと、出てきたのは胡散くさい顔の(と言うと失礼なので口には出さない)男。自分が小さい頃からこのアパートで暮らしている。初めて会った時は『お兄さん』と呼んでいたのだが、そういえばいつから『おじさん』と呼ぶようになったんだろうか。ふと思い出したが、まあおじさんはおじさんだし、良いことにする。父もこの人のことは『おっさん』と、母だって『おじさま』と呼んでいることだし。


「これ、お母さんが作ってくれたクッキーです。どうぞ」
「おおっ、ジュディスちゃんのクッキー! 旨いのよねー、ありがと」


 包みを受け取ると、男は裏返った歓声を上げて、エステルを部屋の中へと招いた。相変わらず部屋はごちゃごちゃしていて、綺麗とはお世辞にも言えない。が、以前よりもキッチンは片付いている気がするし、自分が座るスペースはちゃんと設けられているから、何も言わないことにした。


「はいそこ、座って。やー、相変わらずきったないおっさんの部屋で悪いわね」
「いえ、わたしもお世話になっていますから」
「……で? どうしたのよ、相談って」


 ほい、と緑茶の入ったカップがテーブルの上に置かれる。カップを持ち上げ息を吹きかけて湯気を飛ばし、一口啜る。思いのほか熱くて、暫く冷ましておくことにしよう、とテーブルの上に戻し、エステルは座布団の上で姿勢を正し、言った。


「……お父さんとお母さんが喧嘩して、今日で四日になるんです。リタもカロルも、そのうち元通りになるって言うんですけど、わたし心配で心配で……何か良い仲直りのきっかけって、ないんでしょうか」
「喧嘩? 喧嘩って……ま、まさかまた蹴り合い殴り合い!? ジュディスちゃんの綺麗なお顔に傷なんて作っちゃったら、大将だろうと承知しないわよおっさん!」
「わーっ! 大丈夫ですおじさん、まだそこまで行ってないです!」


 それでもこのまま何日も続けば、いつかは蹴り合い殴り合いに発展する。三人の子供達は痛々しいとはいえそれなりに見慣れたものだし、父も母も肝心なところはしっかり手加減しているようだから無理に止めようとしないが、レイヴンはそれがどうも気に食わないらしい。


「この前もねえ、ばったり会ったら美しいおみ足が赤く腫れちゃってて! なのにジュディスちゃんたら笑って済ませてんだもの」
「それはもう……仕方ないんですよ。わたしだって本当はやめさせたいです」


 エステルだって綺麗な母に傷が出来るのは嫌だ。けれど本人はそれですっきりしているのだから、逆らえない。


「それで――何か、お父さんとお母さんを仲直りさせるきっかけとか、ないんでしょうか」
「うーん、そうねえ……喧嘩の原因にもよるけど。抑も、今回の喧嘩の理由って何なの?」
「それが分からないんです。気付いたら何だか仲が悪くなってて……いつもならすぐに仲直りしてるのに、何日もこんな状態なんて今まで一度もなかったんですよ?」


 説明しながらもどんどん弱気になっていく自分に気付き、いけない、と慌てて顔を上げる。仲直りさせたいのなら、自分が頑張らなければ。


「今日だって、わたしが家を出る前にお父さんどこかに出かけてしまって。お母さんも何も言わないし、リタもカロルも……」


 と――その時、安っぽい音が部屋に響いた。インターホンだ。レイヴンが玄関を見つめたので、エステルは少し首を傾げて促した。


「……あら」
「こんにちは、レイヴンおじさん。突然ですみません」


 玄関を開けてみたら、『好青年』という単語がそのまま張り付いているような男が、これまた『好青年』以外の何物でもない輝く笑顔で待っていた。


「フレン? ……やっぱりフレンです」


 少し聞こえた声がとてもよく知る声だと気付きエステルも玄関へ向かう。


「エステリーゼさん? どうしてこんなところに」
「ちょっと、こんなところってどういうことよ。おっさんの家を、こんなところ?」
「あ、いえ……そういう意味では」
「丁度良かったです! フレンもわたしの悩み、きいてくれません?」


 言うと、フレンは少し不思議そうに首を傾げる。その仕草も、やっぱり爽やか。