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実力試験迄後二週間を切っていた為、聯紗と州透は揃って勉強をしていた。
「……って言うか州透。あんたどうして学年一位とか取れるのよ」
「いや? 普通に授業受けて勉強して塾行ってるだけだよ」
言いながらぱらぱらとノートを捲っている。確かに見た目だけでも頭良さそうに見えるけど。
そんな州透を見ながら、聯紗は必死に考える。
言うべきか、言わないべきか。多分言うには今が絶好のチャンス。今を逃したら、言えなそうな気がする。言う機会なんて余る程あるのに、こう言う事になるとそんな気がしてならない。
「あのさ、州透」
「んー?」
「ずっと言おうと思ってたんだけど……お父さんね」
そこ迄言って、二回のノック音がした。入ってくる者など、一人しか居ない。
「ああ、聯紗も帰っていたのか」
「……ええ。何も用ないから」
返す迄に少し間が出来た。どう返せば良いのか一瞬で判断出来なかった。今正に、彼について話そうとしていた所に現れるとは、『噂をすれば』とは本当に当たるものである。
「早いね。珍しくない? 何時もはおれ達が眠った後に帰ってくるのに」
州透が眼鏡を外して言った。
「今日はお前達に話さなければならない事があってな」
言いながら彼は座る。聯紗は何となく心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
だって話さなければならない事なんて。一つしか思い浮かばないじゃない。
「実は父さんはな」
止めて止めて止めて。続きを言わないで私の予想を覆して。
強く、強くそう願うけれど。心の何処かで、その望みは叶わないと解っていた気がする。
「――母さんと、再婚しようと思う」
「あれ、殊子? もう学校行くのか?」
扇が起きてリビングに行くと、殊子は玄関で靴を履いていた。
「うん、朝から集まりがあるんだ。あ、昨日も言ったけど、遅くなるから先に帰ってね。鍵は忘れないで。ついでに何か食料買ってくれると助かるんだけど」
「それは『買ってこい』って言ってるようなモンじゃねえか……」
「それとお弁当はちゃんと作って……ええと、昼前に渡しに来て。それじゃ!」
鞄をひっつかんで殊子は駆け出していった。
扇は欠伸一つしてから、取り敢えず弁当を作る事にする。
つい数日前に早起きして弁当を作ったばかりなのに、又作る事になってしまった。それでも昨日の自分が怒っていた原因を言うのと、弁当を作るのとでは、明らかに後者の方がましだった。
時計を見るとまだ六時半。高校迄徒歩十分のマンションで暮らす事に、こう言う時だけ感謝する。本当ならあと一時間は寝ていたのだが。
「しっかし、どうすっかなー箕知のヤツ……感染者だしどうにかしなきゃいけねえのは解るけど昨日ああやって別れちゃったし」
冷凍庫の中の冷凍食品を漁りながら、扇は一人呟き出す。
「一言でも誤っときゃ良かったんかな……って言うかそろそろ『影』が動き出しておかしくないんだけどな、あんだけ波動が膨らんでりゃ」
見つかったのは一昨日さんざんだったコロッケ。何となく嫌な気分になって顔を顰める。それは奥に仕舞い込んで、代わりにハンバーグを取り出しレンジに入れる。それから冷蔵庫を開けて、卵を一つとウィンナーの袋。
『影』が表に出ればその分夢に入り込みやすいのだが、そうでない場合は無理矢理感染者の夢の中に入り込まなければいけなくなる。それは出来れば避けたい。
「後四日……四日ねえ。花火大会の日、か」
ほぐした卵の中に塩と砂糖を入れて更に解く。フライパンの上のウィンナーの中に無造作に一気にぶち込んで適当にかき混ぜる。こんな大雑把な方法でも不味くならない所が、料理の素晴らしい所。……時々例外もあるが。
「今日あたり攻撃仕掛けなきゃマズいか? 万一もあるし」
扇達は今迄『影』の排除に失敗した事はないが、油断は出来ない。失敗してもやり直せば良いが、やり直せない時もあるのだ。
火を止めて、昨夜炊飯をセットしてあった白米を詰め込んでそれからおかずを適当に詰めれば後は冷ますだけ。時計を見ると少しだけ眠れそうだったが、これで寝ると目覚ましが鳴っても起きないような気がして、止めておいた。
それで結局、俺はどうすりゃ良いんだ?
扇はさんざ考えたが、答えは出ず終いで家を出る事になってしまった。
一度心の波動と人物を一致させれば、その人物が何処に居るのか知る事など容易い。扇が初めて聯紗を見付けた時に電話越しの殊子が彼の居場所を一瞬で知ったのも、それを利用したからである。
その使用範囲は大体この東京内と、とても広い。その代わり、遠ければ遠い程大まかな場所迄しか知る事が出来ないが、幸い学校と扇が居た場所はそう遠くなかった為、殊子は迷わず彼の元へ行けたのだ。だから、この学校の中なら意識する迄もなく感染者を見付ける事が出来るのだが――。
(……おかしいな)
一限目が始まる前の休み時間に、扇は疑問に思った。
昇降口でも思ったが、まだ来ていないのだろうと思っていた。が、今考えればその時は遅刻の五分前だったのだ。そんな時間と言えば、殆どの生徒が学校内に居る。例え学校に登校中でも波動を探れば直ぐに見付かる筈。
(すっかり忘れてたぜ……思えばあいつって朝早く来てそうだし)
取り敢えずその時はそう処理してしまったが、それを扇は今になって悔やんだ。
ホームルームも終わったのに。
波動を感じないのだ。感染者である聯紗の。否、波動は感じるのだが、学校の中ではない。
(これは殊子に知らせた方が良いか……)
そう思って時計を見るものの、残り時間は二分。一年のクラス迄行き、事情を話し、ついでに弁当を渡す。そんな芸当を二分で出来る筈もない。
そして結局その二分は終わってしまい、一限目が始まった。
(仕方ねえなぁ)
一人溜め息をつくと、机の脇に掛けてある迷彩柄のバッグのチャックを開けて、携帯電話を取り出した。引き出しの中でメールを送る。時々こんな事をするから、彼女は絶対にこのメールに気付く筈。それは三分後に証明された。
そんな遣り取りを数回した後、扇は携帯電話をポケットに突っ込んだ。そして、教科書やらノートやらを引き出しに終ってシャープペンをペンケースに入れてバッグに詰めた。
「おい、扇? 何してんだよ」
後ろの席の男子生徒が小声で扇の肩を突いた。扇は何時もの表情で振り向く。吊り眼のせいで普通の表情でも怒っているように見えるらしいが、まあ彼はその事情を知っているから恐がりはしない。彼はその口からさらりと言葉を紡いだ。
「俺、早退するわ」
「はぁー?」
後ろで変な声を上げられたが特に気にしない。がたんと立ち上がると、クラス中の注目を浴びた。けれど彼は臆せず、バッグを肩に掛けて言った。
「先生、用事が出来たんで早退します」
「……藍是! お前は人を舐めてるのか!」
「別に。これが素です」
きっぱりと言い放つと、そこら中でくすくすと笑い声が聴こえた。さんざ馬鹿にされた教師がばんと机を叩いた。
「お前は学校を何だと思ってる!」
扇は彼を睨むように見た。否、彼は睨まれたと思った。彼は知らない、扇が普通に自分を見ていた事を。
微かにたじろいだ彼を見て、扇は、
――睨んだと思われてるな、こりゃ。
と悟る。が、好都合かも知れない。
「じゃあ先生は学校を何だと思ってるんで?」
ゆっくりとした足取りで、ドアへと向かう。
「給料の為の道具? ケツの青いガキ共の教育の為? 娯楽、快楽、それとも……自分の地位を認めて貰いたいから此処に居ると?」
自分で言っていて笑ってしまう。教師。その意味はやっぱり良く理解出来ない。どうしてそんなものがあるのか、抑も学校と言うのは何故存在するのか。だって自分達の世界では兄や姉的存在の人達が教えてくれていたし。こんな歴史だの科学だの何だのはやらなかったけど。
「……ま、いーや。とにかく早退するんで」
にっと笑ってドアを閉める。途端に背からどっと笑い声が響いた。それと共に教師の怒鳴り声も聴こえるが、笑い声で掻き消される。
扇は鼻で笑うと、
「ざまみろ」
と吐き捨てるように言って、廊下を歩き出した。
「えーっ!? そんな事言って来ちゃったの!?」
電車の中で揺られながら、殊子が素っ頓狂な声を上げた。扇は扉に寄り掛かり、特に気にする様子もなく返す。
「別にちょっと気になっただけだって……」
「でも後で呼び出し喰らうかもよ? そうなってもわたし知んないよ?」
「ああ、ご勝手に。別に後二日しか学校行かねえし」
そうなのだ。残されているのは四日で、明後日の日曜は花火大会の前日と言う事で学校に行かなければならない。それとその次の花火大会。今日はもう学校に戻れない(と言うか戻らないし、正直戻る気分ではないし、もっと言ってしまえば戻りたくもなかった)。
なので実際、後四日のうちで学校に行くのは二日だったのだ。
「……でも箕知先輩、どうしてあの場所に居るんだろ?」
「お前な……こっちが訊きてえよそんなもん」
「だって墨田区なんて、何かあった?」
「知るかよ! 大体なあ、俺だってここら辺全然解んねえんだぞ? 仕事してたのだって、学校近辺だったし」
地球に来てもうすぐ一年経つが、扇達は住んでいる地域から余り出た事がなかった。だから何処に何があるのか、全くと言って良い程知らないのだ。
その為殊子は何時も東京の簡略地図を携帯している。それと波動の位置を一致させると、彼女が今居るのは墨田区だった。
「墨田……墨田、ねえ。何かあったか? そこ」
「ええと〜、何だろ?」
殊子はおさげを弄りながらむうっと考えた。
「何があるにしても、そこに何か思い入れがあるかも知れないね」
「偶然居るだけかも知れないぜ? 俺が初めて箕知を見たのだって、渋谷だし」
「でも扇ちゃん、解る?」
「……何が?」
「箕知先輩の波動が強くなってる」
扇の表情が強張った。
「先輩に何かあったのかも知れない。早くしなきゃ、『影』が来るかも……」
眉根を寄せて、何かを悔やむように殊子が言う。こんな彼女を普通に治すのは簡単。
「うらっ」
びしりとつむじの辺りにチョップ。
「早く走れっつって電車が速くなったりするか? 焦っても何も良くなる訳じゃない、寧ろ悪くなるぞ」
「う、ん……そうだね」
まだ少し不安そうに殊子は返した。軽く笑ってから、扇は視線を外に遣った。何処も変わらないような、ビルや人や。そんな沢山には一つも全く同じものがない。一つ一つの個性、在り方。
他人から見たら、俺はどう思われてるんだろう。
そんな事を何となく思った。