[1] その太陽は何色ですか?

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 未来島みくしま殊子は、十五歳の高校一年だ。
 真っ黒い二つの三つ編みおさげが特徴的で、大きな双眸が強い黒の光を発している。
 胸元で踊る大きなリボンは青く、白いブラウスの上のベスト、そして短いプリーツスカートは緑がベースのチェック。ベストのボタンの金色が、走る度に眩しく光る。電話の後直ぐにこちらへ来てしまったから、持っているのはポケットの中の財布と携帯電話のみ。何も言わずに抜け出して来てしまったから、後で怒られるだろうなと思う。
 黒のハイソックスと黒い革靴が、何分も人混みの中を擦り抜ける。
 突然の連絡で最初は戸惑ったが、彼が見つけたからにはその場へ行くしかない。
 大分彼が近い。信号を右に曲がって――
「うわあ!」
 いきなり前に現れた彼に衝突しそうになって両手を前に出したら、思い切り彼の胸を張り飛ばしてしまった。
「どわッ」
 叫び声をあげて彼が尻餅をついた。
「うわわっ、ごめん扇ちゃん! 痛かった? よね!」
「おー痛えよくっそー。お前まさか、意図的に力入れてないだろうな」
 差し伸べられた手を掴んで彼――藍是らんぜ扇が立ち上がった。
「まっさかあー。幾らわたしでも、張り飛ばして怪我負わせたいなんて思ってないよ」
「……ほう、それが目的か」
「だから例えだよ、例え」
 路地裏に入って壁に凭れると、殊子がどっと息を吐いた。
「ひゃー、疲れた! 流石のわたしも、十分も走ると疲れるよ」
「疲れない方がおかしいだろーよ……」
「んー、わたし体力は自信あるもん!」
 びしっとVサインを出されて、扇は只溜め息をついた。
「……それより、さっき見つけた人なんだけどさ」
「ああ、追いかけたんでしょ?」
「途中まではな。けど……」
「けど?」
 扇は言い難そうに顔を逸らした。が、殊子が強引に正面を向かせた。
「ふっふー。言わないとアイスにジュースつくよー?」
 にこにこと笑いながら言われては、打つ手がない。仕方なく、扇は口を開いた。
「『影』に邪魔されて……見失った」
 ぴた、と殊子の動きが止まった。直後。
「えーっ!?」
「し、仕方ねえだろ!? 邪魔されたら最後なんだから!」
「解ってるよ、わたしでも邪魔されたら追いかけられないもん。……うー、ちゃんと人は覚えてるの?」
「覚えてるけど、捜すのは難しいな。もうここら辺には居ない」
 殊子が長く息をつくと、
「じゃ、又明日捜そうか。だから、今日はアイス食べに行こうよ」
とにっと天使のように微笑んで言った。
「ついでに昼ご飯も! お弁当学校だし」
「とか言ってどうせ昼飯代も俺に奢らせるんだろ」
「可愛い義理の妹の頼みも利いてくれないのー?」
「誰が妹だ、誰が。しかもこの場合、義理という表現はどうかと思う」
「じゃ、後輩に」
「先輩は必ずしも後輩に優しい訳ではないぞ、後輩よ」
 じいっと殊子は扇を見ていたが、やがて勝ち誇ったように笑う。
「ふぅーん。ならクニカ様・・・・に報告しなくちゃね。扇ちゃんが意地悪したって」
「……解りました、可愛い後輩従妹様」




 この世界には、人間には見えない世界が存在する。
 その世界に住むのは人間であって人間ではない種族――夢の管理人ドリームマスターという者達だ。
 姿は人間と同様なのだが、その内に秘めた能力は人間には出来ない芸当。
 人の夢を正常に保つ……それが彼等が持つ特別な力だ。
 普段彼等は人間の住む世界に来る事はないのだが、人間の心をより理解する為に、定期的に誰かが一年間調査しに行く。定期的に、とは言っても一年間が終われば次の調査員が入れ替わりで地球へと向かうのだが。
 今回は、扇と殊子が人間の住む世界を、十一ヶ月前から調査しに来ているのだ。
 それと共に、夢の管理人としての仕事も行う。
 人の夢を支配し、その身体を乗っ取る『影』という悪魔の排除。それをする事で、人の夢を正常に保たせる事が出来るのだ。
 人間の『心』の放つ波動を頼りに『影』に支配された人間を見つけ、その者の夢の中に入り込み『影』を消し去る……それが夢の管理人の仕事だ。
『心』の放つ波動を記憶させておけば、その者を忘れる事はないし、行く先々で波動を残して行けば後を追いかける事も出来る。
 そうやって『影』に支配された、囚われた人間を助けるのだが、解放された人間は彼等の事を覚えていない。
 そうやって夢の管理人は、誰も知らない闘いを繰り広げているのだ。
 藍是扇と、未来島殊子。歳若い夢の管理人は、『双方の親の都合で二人暮らしをしている従兄弟』という設定でこの街で暮らしてきた。
 二人がこの十一ヶ月で、『影』から救い出した人間は十二人。残された調査期間は、あと少しだった。
 最後から一週間前――その時、扇は支配されつつある人間を見つけたのだ。




「ほほー、長い髪の女の子……か」
 デザートのプリンチョコサンデーにスプーンを入れながら殊子が言った。
「俺達と同じ高校の服を着てた。俺は見た事なかったかなあ。リボンが赤だったから二年なんだけどなー……もしくは趣味で購入したか、卒業生が着てるのか」
「趣味ィ? そんなのある?」
「居るだろ、そういう……制服マニアっぽいの」
 最後の方はとても良い難そうだったのだが、殊子はそれを全く気にしていない。
「うーん、まあ考えられるんだけどね。でも制服マニアは近寄り難いってのは偏見だなあ、扇ちゃん? その人なりのセンスがあっての行動であり、かつ莫大な度胸が用いられるんだから、むしろその制服マニアさんには敬意を持つべきだよ」
「……怪しい言葉を連呼するのは止めろ」
 しかも昼間のファミレスで。ずばずばと言い切る殊子に呆れたように言うと、扇は額に手をやった。
「今夜確かめてみるか。現役高校生なら、資料室に忍び込めば出てくる筈だ」
「今夜? ……今夜……?」
 嫌そうな顔をして殊子はプリンを一口。
「……不服か?」
「不服です」
「何で」
「見たいテレビが一杯あるの」
「録画しろよ」
「全部チャンネルが違うの」
「俺の部屋のテレビ使って良いぞ」
「家のテレビは三台だから、足りない」
「嘘付け、三つ使えば全部出来るだろ」
「解ってないっ! テレビは生で見てこそ良いんじゃない! 生放送がどうしてあると思うの、リアルタイムで物事が向こう側で進んでいるの! 味わいたいじゃないの!」
「んなもん何時見たって一緒じゃねえか、時間の進む早さは一緒なんだから。しかも生放送っつってもあっちは録画だろ。……ていうか、その時間の気分で見れば何だってリアルタイムだろ」
「生放送だろうと録画だろうと、その時間に見なくっちゃ楽しみがないのーっ!」
 このままでは堂々巡りになってしまう。やりたくはなかったが、扇は思い切って取引を持ち出した。
「そういえば最近食事当番さぼってねえか? 殊子」
「さぼってるんじゃなくて、勉強してるんだよ」
「俺が教えてる時に堂々と寝る癖して、何が勉強してる、だ!」
「扇ちゃんの講義は眠くなるんだもん。勉強のような事言っといて催眠術? もう、全然覚えらんないよ」
「誰がそんなこと出来るか、理屈になってねえ! お前さっき俺が勉強全然教えないとか言ってたけど、それは殊子がそうやって寝るからなんだよ!」
 今度は大口でプリンを食い尽くすと、殊子は大きな黒い双眸で扇を見つめて、
「……じゃあ勉強のことは置いといて、取り敢えず今日わたし食事当番やるから、明日学校で調べよう」
「今日の当番はお前にやらせる。けど調査はダメ」
 殊子はむうっと顔をしかめると、プリンチョコサンデーの皿を扇の方に滑らせた。『これで少しは見逃してくれては良いんじゃないか』と言いたいらしい。
「何だよ。食うぞ? ていうかもう食った。いや俺の驕りじゃんこれ!」
「でも二人暮らしなんだから扇ちゃんのお金もわたしのお金も一緒だよ……って、どうしてさくらんぼ食べるのー!?」
「……や、一個しかないから……?」
 何故か疑問系で扇が返した。それからマーブルチョコのアイスにスプーンを入れる。それはともかく、殊子がポケットから取り出したのは銀色のコイン。二人が住む世界での通貨だ。
 ひょいと上に投げて、ぱしりと手の甲に隠した。
「……裏」
 扇が一言、そう言った。
 殊子が隠していた手を除けた先にあった絵柄は、鳥を象ったものだ。




「くっそー、俺が負けるとは……」
「へへん、運はわたしの味方だもんね〜」
 夕食時にハンバーグを食べながら扇がぼやいた。
 その夜は今年の夏始めて訪れた台風が近付いていて、生み出される風の音と窓に雨が激しく当たる音が虚しく響く。不敵な言葉は直ぐに消え、
「ひいぃッ! 雨戸、雨戸閉めなきゃッ」
 人一倍怖がりの殊子は、がたりと立ち上がった。
「良いねえ雰囲気出てるー」
 逆にホラー好きの扇は瞳が輝いている。
「嫌あぁ、面白がらないでーっ!」
「んで、あれだ! 急に停電になって、雷が光ってカーテンに人影が出るんだぜ! 何処からか鳥の羽ばたく音が聴こえたり停電なのに電話が鳴ったり」
「やめてよそんな起きそうなこと! どうしてそんなに怖いのが好きなの扇ちゃん!」
 絶叫しながら、殊子はそれに劣らぬ程の派手な音を立てて雨戸と窓を閉めて鍵を掛けた。そして勢い良くカーテンを閉めると同時に、彼女の動きが何故かぴたりと止まった。と思ったら、にたりと変な笑みまで浮かべて振り向いた。
「……そういえば、扇ちゃんて昔っから猫が全然駄目だったよねえ〜」
「……何言い出すんだいきなり」
「このマンションは動物飼っても良かったよね!」
「待て! お前っ、何考えてんだ!」
 ばんとテーブルを叩いて扇が立ち上がった。
 形勢逆転とはどんなに差のある者同士でも、それが人間同士ならば有り得ない事はない。
 人間とは生まれてくる前に条件を問い詰められ、それを受け入れた者だけがこの世に初めて存在するものだ、と聴いた事がある。その条件とは何か特技がある事。それは誰でも受け入れる。しかしそれと同時に弱点を持つというのもあり、それを受け入れて初めて人間とは成り立つのである。言葉では難しいが、簡単に言ってしまえば『個性を持つ事』、『長所と短所を持つ事』、そんな所である。
 だからその弱点さえ解っていれば、どんな弱い者でも遙かに強い者に胸を張っていられる事もそう珍しくない。
 そしてその形勢逆転の応用編が『下剋上』である。
 それは今、この二人が身をもって覚えた。
「じゃ、明日の朝ご飯とお弁当作り、扇ちゃんがやること。わたしは七時になったら起きるけど起きなかったら起こす。以上」
 勝ち誇った笑顔で言いながら、殊子は椅子を引いて座った。後に残ったのは満足そうな笑み。