「さて、今年も地球人の調査の時期が来たのだが……と言えば解るだろう」
「まさかわたし達が、派遣されるんですか?」
「不服だろうか?」
「いやいや、俺その正反対。行けないかなって思ってたんだよな。人間の住む世界! 楽しそうじゃんか」
おうぎちゃんてば、そんな軽々しく言う? 大事な大事な任務なんだよ?」
殊子ことこ、そんなに責任感を感じないでくれ。遊び感覚で良いんだぞ」
「ですけど、任務は遊びではありません!」
「では、こうしよう。一年間地球に行って遊んできなさい。ついでに仕事もこなしてきなさい。これで構わないかな?」
「……解りました」
「それでは、優秀な夢の管理人ドリームマスター、扇、そして殊子。これだけは忘れないでくれ。
 夢の管理人は、人々の夢を安らかに保つ大事な存在だ――と」








Innocent kNights








[0] 始まりの日、その一年近く先のこと


 夏の空。入道雲が何処までも続いていて、長時間その下に居たら倒れてしまう空。彼の中で、夏の空はそんな風に解釈されている。が、決して下らないとか思っている訳ではなく、寧ろ夏の空は四季の空の中で一番好んでいるかも知れない。入道雲の明るい所、暗い所。その白と灰色が際立てる薄青。それとも薄青が白と灰色を際立てているのだろうか。そんな綺麗さと不思議さが彼の心に深く刻まれていた。
 しかしそれを限りなく見られたのは、十一ヶ月前までの話だ。今空を見上げて見えるのは、三六〇度空の世界ではなく、三六〇度高い建物に遮られた空の世界。否、空の世界ではなく、建物の世界なのかも知れない。あの建物の一番上に寝転がれば恐らく空の世界なのだろうが、地球の空よりは故郷の空の方が断然綺麗だと彼は思う。
 両耳のイヤホンから響くのは、適当に掻き集めた洋楽。彼には、邦楽と洋楽の区別というものが余り解らなかったのだが、その異国の不思議な響きは好みだった。異国……というのは、少し違うのだろう。彼にとっては、この日本という国でさえ異国なのだから。只、異国といったところで自らの発音は自動的に自分の耳にも他の人間の耳にも『その国の言葉』として変換されているから、全くもって不具合はないからどうということもなかったが。
 そのイヤホンの下を、銀色のリング状のピアスが揺れている。  赤みがかった短い茶髪が夏の湿った風に揺れて、前髪で隠れている少し吊り上がった黒い瞳が露になった。
 学校をさぼってその場所に赴いた為、格好は制服のままだ。ワイシャツの上に白いウールのベストと、緑がベースのチェックのズボンを着て、背には迷彩柄のバッグを背負っている。
 都会の大通りは馬鹿な程に混み合っている。本来彼はこういった場所は好きではないのだが、仕事を見つけるには絶好の場所なのだ。
 仕事と言っても、人材捜しでも怪しい仕事でもない。
 囚われた人間を助ける。
 それが彼の仕事だ。
 当てもなく歩いているように見えて、そうでもない。囚われた人間を捜しているのだ。
 そして、ぴたりとその両足を止めて振り向いた。
 人混みの中に消えて行く背中。
 彼はその人物を深く心に留めて――イヤホンを外し、ポケットから携帯電話を取り出すと、数回ボタンを押して耳に当てる。
 暫く経っても出ないから切ろうかと思った時、やっと相手が出た。
『……ちょっとー。こっちはちゃんと学校出てるんだよ? もう、理由付けして教室出るのも大変なんだから!』
 ふて腐れた声で言う声にしれっと言い返した、
「なら最初っからさぼれば良いのに……」
『うっわ。この前、勉強教えてやるからさぼれって言って、その後全然教えてくれなかったじゃない! テスト最悪だったんだからね!? 居残りさせられたんだよ、わたし女子一人だったんだよ!?』
「ああ、解った解った。アイスでも奢ってやるから、早く来てくれよ」
 反論し続けていた声が一瞬止まって、冷静な声になった。
『……見つけたの?』
「俺は追いかけるから、お前も直ぐ来いよ」
『解った。直ぐ行くね!』
 僅かな間。彼は何も言わなかったのに、携帯電話の向こう側の少女は彼が何処に居るのかを理解した。それは彼等だから出来る事で、普通の人間には到底出来ない事だ。
 携帯電話をポケットの中に戻すと、双眸を空に向ける。そして、人混みに消えた背中を追って走り出す。
 人々の頭上を飛行機が音を立てて通り過ぎる、それに目を向けた者は一体何人だろう。あの飛行機一つでどんな事が起こるかも解らないと言うのに。何時あの飛行機が爆発したり落下したり、そして戦争を起こす切っ掛けになるかも知れないのに。それなのに知らない振りをして見過ごす人達。そしてその人達にきっと自分も入っているのだろう。
 世界は何処も何時でも汚れ、綺麗なものなど一つもないのかも知れないけれど、それでも俺達は汚れながら生きていく。
 それはとても愚かだけれど、とても素晴らしい――彼はそう思うのだった。