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「あー、雪降りそうな空」
 遠ざかる車を見送ってから、留亜が顔をしかめて空を見上げた。その横で路樹は黙って花束を抱えて歩いていた。
 土曜日。早朝に家を出発し、昼過ぎにやっと路樹の母の実家に辿り着き、そこから車で数十分の霊園へ向かった。路樹の父と留亜の両親、それから基彦は、先に行っていろと二人に言い残して車を走らせて行ってしまった。
「や。久し振り、お母さん」
 肩で切り揃えた黒髪を揺らして、路樹は一つの墓の前にしゃがんで華を生け始めた。
 それは路樹の母の墓。母の骨が眠る場所。
 路樹の母が病気で他界してから半年が経っていた。四十九日が終わってから、初めて五十嵐家の中にある仏壇ではなく本当の墓に手を合わせに来た。
 留亜は桶に組んだ水を柄杓ですくって華に、墓石に流していく。
 雪が降る中で線香に火をつけ、供え、手を合わせる。天にゆらゆらと煙が昇っていた。


「あらあ、路樹ちゃん! やっちゃんのお墓参り?」
 通りを歩いていた、四十過ぎくらいの主婦だろう人に話しかけられて、路樹は頭を下げて笑った。
「はい、久し振りです、おばさん」
 路樹の母の名は、康佳やすかと言った。だから古くからの友人には『やっちゃん』と呼ばれていて、此処に来ると彼女の古き友に逢うことが多い。つられて留亜も頭を下げる。
「もうあれから半年も経つのねえ。いやだ、早いもんだねえ、歳取るとどんどん時間が過ぎてっちゃって」
「そうですか? あたしは今も時間が経つの早いと思いますよ」
「まあ……気の持ちようなのかも知れないねえ。焦っちゃうのよ、この歳になると」
 丸みを帯びた彼女の顔が苦笑に変わった。康佳をよく知るその女性とは、路樹は面識があった。実家に来る度に彼女は康佳に逢いに来て、二時間や三時間はずっと話し続けていた。確か康佳に、彼女は近所のお姉さんだったと聴いた。
 じゃあね、と手を振った彼女にもう一度頭を下げてから、二人は通りを再び歩き出した。
「ね、留亜。今って向日葵売ってると思う?」
「……え? ……それは、無理だろ。真冬だぞ今」
「だよねー……」
 路樹はどことなく困ったように頭を掻いた。呼吸する度、唇から白い吐息が零れる。
「出来れば向日葵の華をあげたかったんだけど」
 留亜が苦しげに眉を寄せて、けれど前を見据えて平然を装って返した。
「また夏になったら来れば良いじゃん。その時は供えられるよ」
「夏かあ。遠いね」
「あっという間だよ」
「それも嫌だ」
「……だよ、なあ」
 何時でも気持ちは矛盾する。歳を取りたくないのに来たるべき日は直ぐにでも来て欲しい。時間に関しての願いは決して叶わなかった。自分の意志も誰の意志も聴いてくれない、只己のペースを維持して決められた役割を果たす『時間』。逆らうことは誰にも出来ない。その代わり、その『時間』も与えられた使命に逆らうことは出来なかったが。
 そして最も幸福で、けれども最も残酷なのは、過ぎ去った時間は永遠に直すことが出来ないことだ。






 それは、半年前の夏の日。
 一生忘れられない、入道雲が頭上を流れる暑い夏の日だった。
『ってゆーかさ、違うんだよ。ほら、俺今日出掛けるからその後行くって言っただろ? そしたらなんか電車が遅れてるんだよ』
「なあに? 人身事故でも起きたの?」
『いや違う。車輪にビニール袋が絡まったらしい』
「……電車って実は弱っちいよな」
 黒く光るメタリックな携帯電話の向こう側で、多少ノイズ混じりに説明する幼なじみの声に、路樹は思わずため息をついた。緑の茂る庭に設置された小さな屋根のあるベンチに座っていても、日陰の癖して汗は出る。例年にも増して暑い夏となるでしょう、とテレビの中の天気予報は言うけれど、そんなの毎年言ってるじゃないか、と思うし、しかも冬でも例年にも増して寒くなるでしょう、とか言う。憎まれ口を叩いてはいたが、今回ばかりはそれに謝りたかった。酷く暑い。天気予報のお姉さん、侮ってすいません。
「じゃあ仕方ない。あたし一人で花屋に行ってくるよ」
『うん、後で半額返す。なるべく急ぐから、じゃ』
 ぷちっと向こうで切れる音。携帯電話を畳んで鞄のポケットに仕舞うと、恨めしそうに屋根の上からちらつく真夏の太陽を睨んでから、意を決してベンチから立ち上がって日差しを身体全体に受けた。太陽の光を浴びて太陽に手を伸ばす、花壇に咲く向日葵の華が羨ましかった。元気だなあ。
「うっわあ……行きたくねえ」
 低く呟くが、嘆いても仕方がない。車が数台止まるロータリーを抜けて、路樹は大通りを歩き出した。
 病人の側にどうして華を添えるのか、路樹は考えたことがなかった。見舞いに行く時には華を持っていくのが定番、そして鉢に植えられた華は持って行ってはいけないのだと言う。しかしそこで気になるのが、死者にも華を添えることだ。それではまるで病人に『死んで下さい』と言っているんじゃないか、と路樹は不安になるが、そうじゃねえよ多分、と父と基彦に説得されて、母の側に着いている彼等の代わりに、代金を預かって留亜と共に華を買いに行く……筈だったのだが。
「ったく、雨が降ったら遅れる、風が吹いたら遅れる……弱っちいなあ電車は! もっと気合い入れろ、気合いっ」
 電車に向かって気合いも何もあったもんじゃないのだが、路樹の怒りは本物だ。
「ていうか……これじゃ日焼けしちゃうじゃん。嫌だなーお湯に染みるの。まあ、靴下焼けが消えるのは良いか……」
 此処で何時もならつっこみが飛んでくるところだが、一緒に花屋に行く筈だった留亜はこんな時に限って遅刻。病院で待ち合わせにしたのだが、電車の都合で遅れているので、路樹一人で買い物に行くことになったのだ。
「……お」
 見つけておいた花屋に入ると、目に飛び込んできたのは向日葵の華だった。そういえばお母さん、病院の花壇の向日葵も、綺麗だって言ってたな。
 これ、良いかも。
「すいません、これ下さいっ」
 店員がにこやかに笑う。こういうのを華みたいな笑い方って言うんだろうな、と路樹はふと思った。太陽に向かって真っ直ぐ手を伸ばす向日葵。康佳は向日葵のようだと思う。あの、華やかで大きくて美しい元気になるあの向日葵のような。
 今は、部屋から出ることは出来ないけど。外に出られないから向日葵だって見られないけど。
 でも、この向日葵を見れば元気になってくれるかも知れない。
 気分だけでも、元気になってくれるかも知れない。




 暑いと言っては、暑さは更に増す。
 留亜は心の中でそう思いながら、なるべく日陰を選んで道を歩く。
 駅から病院までは十分程度だ。出来れば走っていきたいのだが、この暑さでは走れば速効でシャツがびたびたになる。まだ駅を出て三分ほどなのにこんなに汗だくになっているのだ。走れば直ぐに汗は噴き出し放題だ。
「暑くない暑くない暑くない暑くない……暑い……暑いよやっぱ」
 ぶつぶつと呟きながらひたすらに歩く。心頭を滅却すれば火もまた涼し。暑いと思うから暑さは更に増す。それならば、暑いと思わない、無念無想でいれば暑さは感じないだろう――だが、そういうものだろうか。どうも、そうはならない。多分、そうやって思っているからいけないのだ。無意識にやっていれば、もっと効果はあったのかも。
「……くそー。アイス買えば良かった」
 ガリガリ君食いたい、ソーダ味。あたりが出れば文句はないけど、今まで当たりが出たのは、小学校の時に一回だけ。そうそう当たりが出るもんじゃないのだ。よっちゃんイカも当たったことがない。ブタメンも、一回だけしか当たったことがない。
 と、その時、ポケットの中の携帯電話が鳴り出した。……ウルトラマンが。誰だ着信音ウルトラマンにしたの! …………あ、昨日弄ってた弟の仕業だ。
「怪獣ー退ー治のー、せーんもーんーかー……もしもしー?」
 電話は路樹からだった。耳に当ててみると、耳元で聴こえる筈だった路樹の元気な声は何処にもなかった。耳鳴りがするほどの静けさ。
「……路樹ィ? もしもし?」
 繋がってんのかな、と不安になってもう一度言う。
『留……亜ぁ……っ』
「――? 路樹? ちょ……」
 掠れた路樹の声。普通ではない。留亜は顔色を変えて、思わず歩くのをやめて全ての神経を耳元に傾けた。そうでもしなければ、路樹の言葉を聴き逃してしまいそうだ。
『留亜……っ、留亜、どうしよ、あ、あたし、どうしたら……っ』
「え、路樹っ、だから何が? 何がどうしたんだよ!」
 どうやらそう聴き取れないように小さい声ではなさそうだ。留亜は知らずに走り出していた。見えてきた角を曲がれば、直ぐに病院が見える。走るのは余り得意ではないけれど、それでも走る。路樹の様子は普通ではない。泣き声混じりのようにも聴き取れる。
『お、お母さん、お母さんが……』
「おばさん? おばさんに何か、あった?」
『お父さ、お、お父さんが、は、入、るなって……っ!』
 少ししか走っていないけれど、息はこんなにも上がっていた。胸が痛むように軋む。路樹のこんな細い声を聴くのは、何時ぶりだろう。どんなときでも路樹は笑っていた。勇敢に闘うように。
『華、買って……へ、部屋に、持ってったら……にーちゃんもどっか、行っちゃって……っく、あ、うああぁ……っ!!』
 とうとう路樹の声は続かなくなって、後は全て大きな泣き声になった。電波のせいか、途切れ途切れだ。留亜は泣き出しそうになりながらも、必死にそれを我慢した。
「路樹、落ち着いて! 俺、もうすぐそこまで来てるから! 庭に居て! あの、屋根のあるベンチ! な!? 一回切るよ!」
 本当に泣きたいのは、路樹の筈だ。部屋に入るなと言った、ということは、恐らく康佳の具合が悪くなったと言うことだ。基彦が何処かに行ったというのは、多分親戚に連絡を取る為だろう。多分基彦は泣いていない。状況が解っているのに、今すぐにでも泣きたいのだろうに、自分までそうなったら混乱するだけだと思っただろう。だから敢えて、基彦は一人で連絡を取りに行ったのだ。取り乱す自分を妹に見せたらいけない、と。
 なのに、どうして自分が泣きそうなんだ。
 本当に泣きたいのは、路樹達なのに!
 ロータリーに入った瞬間、車とぶつかりそうになってクラクションを鳴らされたが、頭を下げる時間も惜しかったから、心の中でごめんなさいと思いながら走ることをやめない。やっと庭まで辿り着いた時には、すっかりシャツの背中の部分は汗で色が濃くなっていた。
 小さな屋根のあるベンチでは、黒髪の少女が携帯電話を胸に抱いて座り込んでいた。蹲るようにしているから、顔色は伺えない。屋根の中に駆け込むと、一気に走った分の暑さが身体中を襲う。息も苦しい。けれども今はそれどころではないし、直ぐにそれも忘れた。
「……路樹」
 座ったまま顔を上げない路樹の前に歩いて少し身体を屈ませる。微かに路樹の肩が震えた気がした。怖くて、自分が此処に居ることにも気付かなかったのだろうか。その肩に迷いながらも手をやろうとした瞬間、路樹の身体が急に動いた。
「うわ……!?」
 それに驚いて留亜が思わず手を引っ込める。顔は俯いたままで見えなかった。顔を伺う前に、路樹の顔は留亜の胸に押し付けられていた。座ったままで、両腕を真正面に立つ留亜の腰に回して、力の限りにぎゅうっとしがみつく。胸に抱いていた携帯電話が乾いた音を立てて留亜の足下――コンクリートの上に落ちた。
「み……、…………」
 ぎょっとして留亜が路樹の頭を見下ろすが、留亜が路樹の名を呼ぶ前に、彼女が全てをかなぐり捨てるような勢いで泣き出した。時折、留亜、と自分の名を掠れながらに言いながら、路樹は只泣き続けた。お母さん、お父さん、にーちゃん――家族のことも、嗚咽の中で何度も口にした。
 不安だったのだろう。何も解らないまま慌ただしくなって、父は病室に入るなと言い残して、兄も姿を消して。そんなことになって、まともでいられる訳がない。康佳が入院したのは、つい一ヶ月ほど前のことだった。二年生に進学して、新しいクラスにもやっと慣れ始めて。美術部に居た三年生が居なくなって路樹と留亜と二人だけになったところに雷筌が入ってきて、三人で一緒に居るようになって。毎日が楽しくて楽しくて、二人で康佳の所に報告したりもした。康佳は話を聴いては面白そうに笑って、笑いすぎて涙を滲ませたりもした。今更だったが、雷筌に路樹の母が入院していることを言っていなかったのを少し後悔した。路樹が余り人に知られたくないから、と言ったから雷筌にも黙っておいたのだ。
 思えば、酷い勘違いをしていた。
 路樹はちょっと(酷く、かも知れない)気が強くて正義感は強いけれど、普通の女の子なのだ。些細なことで悩んだりするのかどうかは解らないし、恋に悩むのかも知らないけれど、普通の女の子だ。斜め前の家に住む、幼なじみの女の子。
 留亜は恐る恐る右手を路樹の肩に置いて、少しだけ引き寄せるように力を籠める。それから左手で、路樹の黒い髪をゆっくり撫でた。女の子の髪はこんなに柔らかくてさらさらしてるんだ、と初めて思った。留亜のシャツは汗で湿っているのに、それでも路樹は両腕の力を決して緩めなかった。泣くことを止めようともしなかった。
 どれくらいの時間が経ったのかは解らないけれど、市役所からの放送が流れた。光化学スモッグ注意報が解除されました、と、機械の音声が遠く響く。こんな状況なのに時間は流れていって、世界は足を止めない。
 放送を聴きながら、留亜はずっと路樹の泣き声を聴きながら色々考えていた。
 もし、今日俺が出掛ける用事なんて作らなかったら、ずっと路樹の側に着いててあげられたのに。
 こんな時に限って電車が止まったりしてなければ、良かったのに。
 ……今日がこんな日じゃなければ良かったのに。
(あれ……)
 その時、留亜の俯いた瞳に向日葵の華が映った。路樹の隣に置いてある、軽く紙で包まれた向日葵の華だ。恐らく、路樹が花屋で買ってきたのだろう。自分もそこに行く筈だったのに。
(……渡せなかったんだ)
 渡す前に、何処かへ行ってしまった。
 康佳が早く良くなるようにと、祈りを籠めて買ってきた向日葵の華。
 あんなに大きくて華やかで綺麗なのに、今見るとこんなに寂しげな。
 何か、言ってやれることはないだろうか。
 ある筈だ。
 ある筈なんだ。
 なのに、それが解らない。
 幼い頃から何時もそうだ。
 自分が躓くと、路樹は『此処はこうするんだ』と導いてくれた。
 なのに逆の立場じゃどうだ、自分は只何も言えなくてどうしようもないだけじゃないか。
「……路樹?」
 唇を噛んだその時、路樹の腕の力がふっと緩んだ。名残惜しむようにゆっくりと身体を離すと、目元を手の甲できつく擦った。
「ごめん……走ってきたばっかで、暑いのにくっついて」
「そっちこそ、走ってきたばっかで、汗まみれなのにくっついて」
 少しだけ、笑う声が聴こえた。それが無理矢理かも知れなくても、ほっとする。
「落ち着いた?」
「少し。……もう、平気……行かなくちゃ」
 留亜はその言葉に、肩を震わせる。結果は解っている。……最初から解っていた、と言う方が正しかっただろうか。康佳がどうあっても助からないことは、誰でも知っていたことだ。今回の入院が最期。だから、入院する前日、五十嵐家も凪尾家も揃って盛大に盛り上がった夜を明かした。その時も又、路樹は涙を流さなかった。当然基彦もだ。二人の父も、自分達も、誰一人。康佳自身も。最初から、長く生きられないことは解っていたのだ。
『今度此処に帰ってくる時は、わたしはよーく焼かれた骨になってるのね。間違ってダシにしたりしちゃ駄目だからね』
 笑いながら康佳が言った一言は、以来留亜の耳から離れない。明るく振る舞うその女は、気丈で美しかった。多分、路樹のこういう性格は康佳に似たのだろう。
「お母さんの側に、この華あげたいから……」
 かさりと向日葵の華を抱いて、路樹は言った。樹で作られた棺に白い服を纏って入れられるだろう康佳の側に、この華を置いてあげたい。大好きだった日本酒を口に含ませてあげたりもして。火に焼かれる時は、この華も一緒に焼いて。こんなに大きくて元気な華が一緒なら、きっとお母さんは寂しくない。
「……喜んでくれるよね。お母さん、綺麗だねって、喜んでくれるよね? 向日葵と一緒なら、最期の最期、お墓の下に埋められるまで、寂しくないよね?」
 涙に滲んだ瞳で、耐えようとして変に眉の間に力が入って。巧く笑えなくても強引に笑ってみせた。留亜はそんな路樹の顔を見て、自分だけは彼女の前で泣かないようにしようと思って、気付かれないように涙を堪える為に背中でぐっと拳を強く握って笑った。
「うん。天国に行っても、ずっと持っててくれるよ」
 それから数日後の通夜と告別式で、路樹はやっぱり思い切り泣いたけれど、それから直ぐに元気を取り戻した。泣いてばかりは居られない。これからも、あたしは進まなきゃ行けないから。うじうじしてたら、留亜だけじゃなくて雷筌も心配する。






 合わせた手をそっと離して、墓を見つめる。ああ、もうあれは半年も前の話なんだな、と思うととても早いような気がする。けれども留亜を待っていたあの時は、とても長かった。何時まで経っても留亜は来ないと、不安になっていた。
「……お母さん、辛かったかな。痛かったかな。あたし、本当は最期まで一緒に居たかったんだ。にーちゃんだってそうだったんだろうって思うよ。お父さんはもっと辛いと思うよ。……それでも一緒に居たかった」
「……うん」
「月曜日になったら、雷筌にも話そう」
 路樹のその言葉に、留亜は顔を上げた。
「もう隠したくないんだ。雷筌、あたしのお母さんが死んでるってことは知ってるけど、こういう話はしたことないじゃん?」
「本当にそれで良いのか?」
「あんたがとめても、あたしは話すよ」
 その決意を露わにした路樹の横顔に、留亜は笑って頷いた。
「――あ」
 留亜が空に目をやった。それを見て、路樹もならう。
「雪……」
 はらはらと白い粉が舞う。吐く吐息は白く、手先は少し痺れるように冷たい。
「先に行ってろって……お父さんもにーちゃんも、こんな寒い中此処で待ってろっていうんだから! 覚えてろ! 後でたこ焼きでも奢って貰うんだからッ」
 コートの襟を思い切り顔に寄せて、路樹は軽く歯ぎしりする。それを見て、留亜が笑った。当たり前の温度の吐息は、けれどもこの寒い中では熱いほどに暖かく唇を掠めた。
 この白い吐息も、線香の煙も、天国の康佳まで届くだろうか。