2


 ところでこんな性格で、しかも授業放棄もよくする三人組だが、しっかりと部活動はやっているのだ。週に一度・木曜のみの活動、しかも部員はこの三人だけという、よく生存出来ているもんだ、と本人達も不思議に思うこの部活。
 美術部。
「……決まんないな、題材」
 留亜がペットボトルに入ったアミノ飲料(最近留亜はこればかり飲んでいるが、多分彼の遅すぎるブームなのだろう)を喉をそらして飲んでいる。雷筌はシャープペンをくるくる回しながら何か探すように美術室を見渡している。
 テストが終わってから三日後に、コンクール出展作品の締め切り日が待ちかまえている。それに間に合うように一つの絵を制作する筈なのだが、どうにも題材が決まらない。この話はずいぶん前から持ち上がっていたのだが、未だに決まっていないのだ。このままだと数ヶ月先の次のコンクールに持ち越されてしまう。
「なァ……留亜」
 一つ、どんと置かれた備え付けのプレイヤーが、最近のポップスを垂れ流している。路樹はFMラジオを好んで聴くから、美術部活動の際のBGMはFMラジオだ。雷筌はこっそり留亜に耳打ちする。
「なあんか五十嵐、変じゃねえか? 昨日あれから、なんかあったのか」
 路樹は何となくぼうっと机に頬杖をついて窓の外を眺めている。良く晴れた青空の下、強い北風が椿の葉を揺らしていた。その葉が日の光を浴びてつやつや光っている。
「ん……まあ、ちょっと……」
 留亜は生返事を返してから路樹を見て、どうやら聴いていないようだと確認すると、雷筌の耳に告げた。
「あいつ、母親が半年前に死んだだろ? だから、その墓参りもうすぐ行くんだよ。だからそれ思い出してんじゃないかな……」
「……そっか。あいつ、母親、病気で亡くしたんだよな」
 明るく元気な路樹だが、親が死んだことは相当ショックで、くじけても直ぐ立ち直る普段の彼女とは全く違う彼女が、半年前に此処に居たものだった。半年前も、丁度こんな風に抜け殻のようにひたすらにぼうっとしていて、寧ろそれを気味悪がっていた者も居た。
 例えば路樹は誰かが哀しんでいた時、責められていた時、何時もその者を助けようと奮闘していたから、授業放棄したり教師に刃向かったりはしていたが、クラスメイト達からの信頼は凄まじかった。それを偽善だとか良い子ぶりっ子だとか言う者もまた居ない。彼女は嘘を付くことが珍しく、一直線な性格をしているから。助けられた者は誰も彼女の行為をうざいとか思っていないし。そう言う奴が出たら即座に留亜が手を出すし(留亜はキレると止まらないので、雷筌はそれを止めるのに何時も苦労するのだが、彼を止められる人物自体余り居ないのが現状だ)。
「おかしいよな」
 頬杖をついて留亜は路樹を見て言った。ぼうっとした留亜の顔を見てから、雷筌はそれに同意する。
「ああ、そうだろうな。あいつは『落ち込む』ってのを知らない位に突っ走るから」
「……そうじゃなくて、おかしいのは、酷いのは俺だ」
「は?」
「あいつが落ち込む奴じゃないってずっと思いこんでた俺だ……」
 母が死んだ時、路樹はそれは取り乱してふさぎ込んだが、泣くだけ泣いたらすっきりしたらしく、二日程で何時もの元気を取り戻した。だから思いこんでいた。
 彼女は強いと、彼女は哀しみに強いと。
 でももしかしたら、あれは只の強がりだったのかもと思うと、哀しくなる。
「俺……あいつのこと、きょーだいみたいに家族みたいに色々知ってるってずっと思ってたけど、本当はそんなんじゃない。あいつの強がり、ずっと見てただけなんだ」
 路樹は優しいから。だから強がってああやって。
 路樹が泣いたところを一体この十四年間何回見てきただろう。余りにも覚えがない程、彼女は泣かない。ひたすら笑っていた。
 ひたすら、ひたすら、笑って、いた。
「さっきからなぁにひそひそ話し合ってんの」
 びしっと路樹のチョップが二人の頭に降ってきた。
「どーにも、駄目。やっぱり題材が決まんないや。考えてたけど」
 がしがし頭を掻いて路樹は言う。艶やかな黒髪がその度彼女の指先から零れる。前々から思っていたことだが、路樹は授業をすっぽかしたり色々派手に騒ぎを起こす、俗に言う『不良』とかなのに自分を飾らないのだ。メイクもしないし、セミロングの髪は真っ黒で細工したところも見たことがない(あるといったら無造作な一本縛りだ)。普段着も専らパーカーやトレーナーにジーンズ、スニーカー、キャスケットの帽子。まして制服のスカート丈さえ膝下と校則を守る。外見は優等生ばりのこんな少女が啖呵を切る。何だか妙である。元々路樹は、似合わない、と言って着飾ることをしないのだ。
「……おーいこら、凪尾、金野、五十嵐!」
 その時、がらりと美術室の扉が開いて一人の教師が入ってきた。
「もうすぐ下校時間だぞ? さっさと出ろ出ろ!」
「あれ? もうそんな時間だっけ」
 急いで雷筌がプレイヤーのスイッチを切って、路樹が窓の鍵を確認する。留亜が飲み干したペットボトルをぽんとゴミ箱に入れて椅子を片付けると、三人はさっさと校門の外に出た。それでも雷筌は難しい顔をして考え込んでいる。
「……おかしいな。まだ五時だぞ? 完全下校まで三十分ある」
「今日って何かあったっけ?」
 路樹が思い出そうとするように頭を抱えると、雷筌は鞄の中から今月の日課が書いてあるプリントを取り出した。
「やっぱ何もないんだよな。どういうことなんだ……?」
「あっ!」
 その時、留亜が鞄の中をあけて叫び声を上げた。
「やっべ、宿題美術室に忘れたっ!」
「何してんだよー留亜」
「そ、そんなこと言われたって、そうだよいきなり帰れとか言う先生がいけないんだ!」
「凪尾、罪をなすりつけんなっ! 諦めてとっとと帰れよ〜」
 にんまり笑って教師は手を振って、がっしゃ、と校門を閉めた。留亜が頭を抱えて天を仰いだ。
「あーッ!! やべーやべーちょっとセンセちょっと位っ! ……っていうか、宿題出したの先生じゃん!」
「不運だったな、入れてやんないぞ。明日はクラスで大恥掻かせてやるから期待してろ」
「誰が期待するかよ!」
「ほら、行った行った! もう暗いんだから、寄り道しないで帰れよ」
 手で仰がれて、三人は顔を見合わせて帰路につく。それから一分ほどして、学校が曲がり角で見えなくなったところで。
「……なーんか、おかしいっ」
 路樹もうーんと腕を組んで考えた。
「あたし達を厄介者みたいに追っ払っちゃって。先生、普段はちゃんと理由言うのに」
「な? まあ、留亜の忘れ物を取りに行けないってのはどうでも良いけど……」
「どうでも良いのかよッ!」
「考えてみろ。それはまだ普通の範囲だろ? でも何も理由を言わないで追い出されるのは不思議だって言ってんだ」
 留亜は言われて考える。確かにそうだ。
「……っつーか、だったらあそこで何なのか訊けば良かったんじゃねえの?」
「訊いたってあの雰囲気じゃ誤魔化されて終わりだろ。ありゃ明らかにオレ達を厄介払いする手付きだったからな」
 と、路樹はいきなりコンクリートに鞄を放り、肩に巻いていたマフラーを邪魔にならないよう首の後ろで縛った。そして鞄を背負い来た道を戻り出した。
「お、おいっ! 路樹!?」
「普通じゃない! 確かめる!」
「普通じゃないのはお前だろ、そこで引き返すか?」
「なにげに失礼なこと言うな雷筌ッ! 誰が普通じゃない、だ!」
「ガフッ」
 めしっと路樹の裏拳が雷筌の鼻の頭にぶち当たった。哀れにもコンクリートの上でのたうち回っている雷筌に向かい、彼女は腰に手を当てて言った。
「最初に変って言ったのお前じゃんかっ!」
 勿論痛みで少年は何も言い返せない。留亜は少し青ざめ引きつった顔で、
「いやでも路樹、今のはイタいぞ……」
「とにかくあたしは行くよ。引き下がれない」
「ちょ、お……! 路樹、待てって! 雷筌も起きろって!」
「……お、起きられるか……ッ!!」
 痙攣しながら雷筌が言う。その間にも赤いマフラーの後ろ姿は角を曲がってしまった。
「ああ、うわ、待て、待って下さ……っ、ああーッこのやろ!!」
「い、いて、いででッ! てめー引きずるな! 引きずられる位なら自分で走るッ!!」
 雷筌のマフラーをがっしと掴んで、留亜が歩き出す(というか、半ば走っている)。仰向けにコンクリート上をずりずり引きずられて、更に首まで絞まって、雷筌が叫ぶ。その叫びにようやく留亜は立ち止まって手を離した。
「何だよ、『起きられるか』とか言ってたのに! ややこしいなあ!」
「首絞まってる方が辛いっつーのッ!! オレが引きずったろか、ああ!?」
「……お前等ね、一緒に来るんだったら静かに行こうよ」
 ようやく路樹が足を止めて言う。
「誰のせいだ、誰の! そっちの裏拳が原因なんだ、鼻血出るかと思ったぞ!?」
「ありゃ、何だ雷筌、結局着いてくるならさっさとそう言えば良かったのにぃ」
「危なっかしくて帰ってらんない! オレも行くぞっ」
 マフラーの締め付けを直すと、雷筌は苛々と言い放った。




 取り敢えず美術室に置き忘れた留亜の宿題を取ってきてから、三人は校舎内を回ることになった。
「ったく、不用心だなー……職員室に鍵位かけとけって。泥棒に入られても知らねえぞ?」
「ていうか、あたし達が泥棒まがいのことしてるよね」
 がらがら職員室の扉を開けて、携帯電話の明かりを頼りに突き進む。
「でもな……職員玄関に靴はなかったし、どうして追い出されなきゃなんなかったんだろう?」
「ううん、雷筌。靴なんて何処にでも置ける。どっかで何かある筈だよ」
「……五十嵐、お前テレビの見過ぎ」
「だったらそうじゃないって証明しなきゃ」
 腹が減ったのでぽいと口にキャンディを入れて、路樹は職員室の窓から景色を見渡した。何処かに明かりがついていたら、アタリだ。最後に教師が見回りをするんだから、電気なんてついていない筈。
「なー、やっぱり何処も明かりなんてついてないぞ?」
 白い息を吐きながら留亜が言った。
「……そうみたいだね。やっぱり只の勘違―――」
「隠れろッ!」
 その時雷筌の顔色が変わった。後ろから路樹と留亜は頭を抑えられて、床に伏せられた。留亜の携帯電話が軽い音を立てて床に転がったのを、雷筌が素早く捕らえて光が漏れないように閉じる。
「な、雷筌、いきなり何……」
「しッ! ……居た。窓の外見てみろ。二年の……四組の教室、黒カーテンで隠れてるだけだ。そっから人が顔を出した。五十嵐、良かったな、テレビドラマみたいだぞ」
「…………」
 俯いた路樹の顔が、心なしか青ざめていた。間近でそれを見ていた留亜は、何と声をかけて良いものやら迷う。どうしよう、此処はやっぱボケるべきか? ……が、
「……ふ、ふふふふふ」
「あ……?」
「よーし、そうと解ったら行動だ。見てろー、誰だか解らないけどギャフンと言わせてクレープでも奢って貰うんだから」
 再び路樹はコートのポケットから携帯電話を取り出して、中腰のまま職員室の扉に進み出した。ギャフンと言わせてクレープとは安上がりすぎだ、と思ったが、今はそんなことを言っている場合ではない。慌てて雷筌が引き留めた。
「わーっ待て待て! 早まるなッ」
「何? その自殺しようとしてる人を引き留めるような言い方は。別に良いじゃん、見つかった時は見つかった時で」
 青ざめていた筈の顔色は何処へやら、今は黒い目がらんらんと輝いていた。
「お前は刑務所の脱獄者か! ごめんで済んだら警察は要らないだろうけどなあっ」
「そんじゃーごめんで済まそうぜ。気迫で押される位に謝ってやりゃ良いじゃん」
「おっ良いこと言うじゃん留亜」
「いやいや旦那にゃ頭が上がりませんぜ」
「おぬしも悪よのう……っつーかあたし男かよ旦那って」
(誰かこいつら止めてくれ……)
 雷筌は心の中で嘆きながら二人の後をついて行くしかない。


「―――……では、そういうことで……期待していますよ」
 扉の向こうでの会話を聴く為、耳をべたっと扉に張り付かせて、三人はうーんと考え込んだ。
『これってどう思う?』
 まず会話を切り出したのは留亜だ。話し声は聴こえるので、携帯電話の画面でやりとりする。まあそれでもぷちぷち音は鳴るのだが、普通は扉の向こうに聴こえない。
『闇取引って感じだよねこれって。本当にそうだったらどうす』
 べしっと雷筌が路樹の頭をはたいた。非難の目付きが気配で解ったが無視した。
「……じゃあ取引は、三千万で宜しいですね?」
 反撃とばかりにボタンをいざ押そうとしていた路樹の手がぴたっと止まった。留亜と雷筌も目を見開いて扉に集中した。
「では、お約束通り、一週間後また」
(隠れるぞ!)
 留亜が目配せする。予め扉を開けておいた隣の教室に潜り込み、静かにけれど急いで扉を閉めた。スリッパの音が遠ざかるのと、それから数分後にもう一つの足音が聴こえなくなるまで、三人は見つからないよう、祈るように押し黙っていた。
 ―――とんでもないことに、なってしまった。