彼女はチョコレートのマフィンを作ることにした。
 料理は小さな頃から好きだったし、美味しいって言って食べて貰えるのは嬉しかったし、作っている身としても充実した時間だったし。
 色々あるが、つまり彼女はマフィンを作って、ハリムの近くにある山の中にあるロッジへと向かっていた。鞄の中にはサンドイッチやサラダやスープ、ハリムの人々からの預かりもの、そしてマフィンが六つ。








木漏れ日はブラウン  ジュードとユウリィ/ED数年後








 遠くに見付けたロッジと、その前で鳥に餌をやっていた少年を見比べて、あれ、とユウリィは歩きながら首を傾げた。どうも前と尺度が違うような気がしてならないのだ。二ヶ月前に来た時はもっとロッジが大きくて少年は小さかった筈なのだけど。
「ユウリィ!」
 その少年が笑いながらぶんぶん元気に手を振る。余りの元気さに鳥が逃げ出すのではないかと思ったが、寧ろ鳥は少年の周りをその元気につられたように飛んでいた。
「こんにちは、ジュード。元気そうですね」
「うん。空気も美味しいし、夜もぐっすり眠ってるし!」
「そうですか。そろそろ寒くなってきたから、風邪を引いたりしていないか心配しましたけれど、大丈夫そうですね」
「風邪なんか引かないよ。はいユウリィ、手、出して」
 何のことかと思ったけれど、直ぐに理解して、両手を器にするように差し出した。そこにジュードが手に持っていた鳥の餌が盛られ、飛んでいた鳥はユウリィの両手目掛けて降りてくる。
「すっかりユウリィにも懐いたね、こいつ」
「そうなんですか?」
「うん」
 少年の髪が風に揺れる。癖のあるその髪は前よりやっぱり少し伸びていた。大人びたその顔立ちに浮かべる笑顔はやっぱり変わっていなかった。




 ロッジに作られた小さなキッチンで湯を沸かし、紅茶を淹れる。テーブルに食材を並べ、向かい合って一緒に「頂きます」と食事を始めた。
 これは二ヶ月に一度、必ず行われる二人の風景の一つだった。
 ジュードが森林保護管としてロッジでの生活を始めたのは、闘いが終わってから数年後だった。一番驚いたのはアンリだったが、ユウリィ以外のハリムの人々の中で誰より早く許可したのもアンリだった。
 しかしまだまだ子供のジュードを一人森の中で暮らさせるのはユウリィも心配した。半年間旅をしてきたし野宿もしたし、それなりに一人で何でも出来る子だとは誰もが知っているが、それでも心配は拭えなかった。だから大人達は、二ヶ月に一度ユウリィに小屋へ行って貰うことにしたのだ。どうして大人達ではなくユウリィだったのかは察して貰いたい。それでなくとも彼女が自分から行くと言い出しただろう。二人がハリムに住むようになってからも、彼等は母の中で眠る双子のように何時も一緒に居たのだから。
「……で、これがワイオミングさんからのタオルで、これがアンリさんからのナイフ。これで全部かな……」
 食事が終わり、次々とハリムの人々からの預かりものを出していくユウリィを見て、ジュードは目を丸くした。
「みんなこんなに色々くれるの? なんか悪い気がしてくるんだけど」
「この辺りの自然を護ってくれているんですから、皆さん感謝しているんですよ。それでなくとも、皆さんジュードのこと本当に心配してますし」
「それは解るんだけどさあ……ユウリィもこんなに毎回持ってきて、重たくない?」
「平気です。先生になってからは、力仕事も沢山していますから」
 そう、ジュードが森林保護管になったように、彼女はこの数年でハリムの子供達の教師となった。旅の合間にジュードが言った、「先生が似合っている」という話は現実となってしまった訳だ。
「教材も沢山運びますし、結構力が付いたんですよ」
「……あんまりそれで喜んで欲しくないんだけどな、僕は」
 良いんだけどさ、別に。
「そうだユウリィ! 帰る時、僕も一緒にハリムに行って良い? また背が伸びちゃって、服がなくなっちゃったんだ」
「はい、皆さん喜びますよ」
 遅い成長期は、抑えつけられていた反動か爆発的にやってきた。この間は二ヶ月の間に五センチ伸びたと言っていたし、今回も今回でまた同じくらい伸びたそうだ。
「これでやっとユウリィと身長差が頭半分くらいだ」
 満足げにジュードが笑うものだから、ユウリィはおかしくなって口元に手をやって笑った。旅をしている頃は同じくらいの身長だったのに、今では見上げなければ顔を見ることが出来なくなってしまった。悔しいという気持ちはユウリィには全くなかった。だって男の子なんだから成長して当たり前だし、自分と違う点なんて細かく刻めば星の数にも匹敵するだろう。
 何時かもっともっと差が出来ても。
 きっと一緒に生きていけると思うし。
「……そうだ! アルノーさんとラクウェルさんから手紙が届いたので、持ってきました」
「え、ほんとっ!?」
「はい! 赤ちゃんが産まれたんですって!」
 そうして二人はチョコレートマフィンを食べながら、手紙を広げる。そうして陽は少しずつ少しずつ西へ傾いていく。




 結局その後、ジュードの髪を切ってあげたりロッジの掃除をしたりしていたらとっぷりと陽は暮れた。暗くなった道を二人はジュードのランプの光を頼りにハリムへと辿る。
「ユウリィ、何時も忙しいのにありがとう。ユウリィのご飯、美味しいから嬉しいよ」
「ありがとうございます。そう言って貰えると私も嬉しいです」
 最初に料理が好きになったのは何時だろう。兄に褒めて貰ってからだろうか。……兄はどうしているだろう。二人はそのことを口にしないが、生きているのではないかと何となく思っている。根拠はない。信じている、とかでもない。只『何となく』あのままトルドカの園へ向かうような人とは思えないだけだ。
「……ジュードって」
「え」
「本当に、何処まで大きくなるんでしょう」
 外見も。内面も。
 色々言いたいことはあったが、どうにも言葉にならない部分が多かった。だからユウリィはそれしか言わなかったのだが、伝わったのか伝わらなかったのかジュードはへらりと笑って、
「うん、熊くらい大きくならなければ良いなあ」
とか言うから、ああやっぱり伝わってないや、とユウリィは少し気落ちした。
 それでもあの大きかったジャケットはぴったりになったし、あの日の服も靴も入らなくなって、時間は今だってずっとずっと進んでいて。
 それで良いと思う。
 私は今、とても楽しくて幸せな時間を過ごしている。
 ハリムの明かりがぽつぽつ見えてきた。ユウリィの遅い帰りを心配しつつも何かを期待している村人達がそこで待っている。
「今度、アルノーとラクウェルに逢いに行こう」
「はい」
「赤ちゃん、見に行こうね」
「はい!」
 きっとアルノーは大きくなったジュードを見て裏返った声で驚いて、ラクウェルはそんな彼に呆れたように肩をすくめてから微笑んで出迎えてくれる。
 話すことなんて考えていない。
 只、逢いたいという思いがそこにあるだけ。
 そうして二人は手を繋いでハリムの明かりを少しずつ身体に取り入れていく。





ジュードとユウリィ、三〜四年後くらいで。
森林保護管になったのが何時か解らないので適当ですが、小林檎出産時期の話です。