何時かは訊かれることだろうと思っていた質問だ。自分だって予想はしていた。覚悟もしていた。その時に備えて答えも予め少し練ったこともある。
「お母さんってどんな人だったの?」
 それでもいざ訊かれてみれば、戸惑ってしまった。
「……母さんはな。ほら、あの写真が母さんだ」
「そんなの知ってるよお。優しかったとか、かっこよかったとか、そういうの!」
 怒ったような口調で彼女は言う。少女は今年で五歳になる。確かに覚えても居ない母のことを知りたくもなるだろう。
 よし、と男は手を打った。
「それじゃ、母さんの部屋に行こう。色々教えてやるよ」
 彼女がこの世から居なくなってもう五年も経っていた。








パーセンテージ  アルラクと小林檎/ED数年後








 五年前のこの日、彼女は唄を唄っていた。自分の知らない唄だったが恐らく子守唄だろうと思われた。
「これはな、私が小さい頃に母が唄ってくれたものだ。私も妹に唄っていたことがある。名前も作った人も知らんのだがな」
 彼女の腕の中にある小さな命を生み出した代償だったのだろうか。娘を産んだその日から、彼女は一日の殆どをベッドの中で過ごすこととなった。もう長くもたない―――誰もがそれを知っていた。けれど彼女は残された時間に怯えていないように、微笑んでいることが多くなった。
「……ところでな、ラクウェル」
「何だ?」
「一時間くらい立てるか」
「……私を馬鹿にしているのか? 幾ら身体が弱ったとは言っても、それくらい造作ないことだ。こうやって横になっているのも医師が言うからであり……」
「解った解った。じゃ平気だな。よし、俺も手伝ってやるから」
 腕の中の赤子を自分の腕に収めると、彼は何かを探すようにして部屋の中を見回した。それを見ながらも彼女はベッドから降りる。
「何を探している」
「いや……化粧道具何処かなって」
「……お前、幾ら店が儲からないからってその道に進むことはないのだぞ」
「誰がオカマになるっつったよ!? 俺がんなことするように見えるのか!」
「そうか。……なら、そのドレッサーの二段目の引き出しにあるが」
 言うと早速引き出しを開ける。化粧道具が詰まった箱を持つと、じゃあ行くぞ、と部屋の外に促した。一体何だと言うのだろう。首を傾げながらも、彼女は上着を羽織ってその背中を追った。もう今までの速度で歩けないのを知っているので、彼の歩調はゆっくりとしている。
 ……化粧道具か、と彼女は歩きながら思う。旅をしている間、化粧なんて一度もしたことがなかった。あの化粧道具は全てこの街に住むようになってから揃えたものだ。揃えた、と言うよりは譲り受けた、の方が正しい。綺麗なんだから化粧でもしてみなさいよ、と街の人々に言われ、瞬く間に化粧道具一式が揃い、更に箱まで貰ってしまった。ほらやっぱり綺麗よ、と強引に化粧を施された後に言われ、夫には真っ赤になられてしまった。
『……どうしてそんな顔をするのだ』
『いや、綺麗だって思って。……悪い、この場で襲いたくなる』
 久し振りに剣を振り回したら身体の調子は悪くなるだろうか、とこの時彼女は反射的に思ってしまったが、とうの昔に剣は取り上げられてしまっていたので仕方ない。
 それが今から大体半年前のことだったが、今まであの化粧道具を自分で使ったことなんて片手で足りるほどだ。三度ほど彼に頼まれ、一度は彼の手で施されたものだ。折角貰ったものなのに、と悪い気はするが、どうも化粧は自分には少し似合わない気がしたのだ。
「それで? 一体それを持って何処へ行くんだ」
「大丈夫だ、この家ん中で全部終わるから」
 そしてリビングへ連れられてみて、彼女は仰天した。見たこともない椅子が一つと、スタンドと共にカメラ。そして近所の老夫婦一組。
「こいつが生まれた記念に写真を撮ろうっておばちゃん達に言われてな」
「……写真か、成る程」
「これね、私のお古なんだけど。少し調節すれば使えるのよ」
 女が手に持っていたのは緑色の簡素なドレスだ。そして同じ色のリボン。
「わ、私がこれを着るのか?」
「お前こういう服着ねえじゃんか。良いだろこういう時くらい」
「いや、確かに着ないが……私にはこういった可愛いものや綺麗なものは似合わない」
「何言ってるのよ、着てもいないうちからそんなこと言わないで頂戴」
 そうやって女は上品に笑う。……女の言い分は尤もである。彼女は少し考えた後でそれを承諾。部屋に戻って着付けをして貰った。
「ほら、うちの人、昔は写真屋だったのよ。だからね。……私達もね、嬉しいのよ、またこの街に一人住民が増えて。おせっかいじゃなかったかしら」
「いや、それはない。しかし……どうも、こういう服は慣れなくてな」
「そうねえ、着慣れないとそう思うわよね。でもね、実はドレスがあったら貸してくれって言ったの、貴方の旦那さんよ」
「は」
 調節の為に両腕を上げていた彼女は、その言葉に思わず腕を下ろそうとしてしまった。慌ててそれを押さえると、正面を向いたまま考えた。
 ―――アルノーが? あいつが頼んだ? ドレスを? ……またとんでもないことをするものだ。……いや、有り得ないことではないが。
「はい、もう下ろして良いわよ。……ああ、良く似合うわ。私のものでどうにかなって良かった」
 最後に髪を結う。何時ものようにリボンを縛る。色が違うだけで鏡に映る自分が少し別人に見えた。
「さて、後は仕上げよ」
 そう言うと女は部屋の扉を開けて夫を呼んて部屋を出た。娘は男に預けてきたらしい。その手には化粧箱だけ。そしてその姿は黒い礼装。髪も少し整えたようだった。
「……お前がこのドレスを頼んだそうだな」
「お、聴いたか」
「全く……どうしてそんなことを」
「だって俺が言わなきゃ着ないだろ。見てみたいんだよ、そりゃ結婚式に一度見たけどな」
 ドレッサーの前に妻を座らせる。
「……店の壁にお前の絵、幾つか飾ってるだろ。そこに写真も飾ったらどうかと思ってよ」
「写真か。……待て。まさか今から撮る写真を飾るのか」
「そうだけど」
「ま、待て! やめろ、恥ずかしい!」
「じゃお前が気付かないうちにこっそり飾るから……っと、目ェ瞑れ」
 既に顔は真剣。仕方なく彼女は目を瞑る。……どうして彼は化粧の仕方を知っているのだろう。手先が器用なのは知っているが。まさか自分がしないから街の人達に教わった? ……いやまさか。そこまではしないか。
「よし、終わったぞ」
 そうして慣れた手つきで片付けて箱を閉じる。
「……アルノー」
「あ?」
「その……一応、礼を言っておこうと思ってな。私にはこういった服は似合わないが……その……写真を撮ろうと言ってくれた事は、感謝したいのだ」
 夫は箱を持ち上げてから、ぷっと吹き出す。
「似合ってるって。綺麗だよ、ラクウェル。ジュードとユウリィも呼んだ方が良かったかな、あの二人も口々にお前を崇め奉るぜ?」
「崇め奉る……?」
 かなり褒めすぎな言葉ではないだろうか。しかし少し想像してみれば、
『すっごい綺麗だよラクウェル! 凄く似合ってる!』
とジュードはあの太陽みたいな笑顔を顔中にくっつけて、しかも両手を拳にして言うことだろう。自惚れている訳ではない。あの少年はそういう性格だ。頭に巡らせてみたら何だかおかしくなってきて少し笑った。
「お前も中々様になっているぞ、その格好」
「……そ、そうか?」
「ああ、ホストのようだ」
「褒めてねえ!」
「冗談だ」
 そうしてリビングへ戻る。
「男らしくなったな、アルノー。……これは冗談ではないぞ」
 椅子に座りながら言うと、彼は困ったような照れたような顔をしてから、笑った。


 それから一ヶ月ほどして、彼女は静かに息を引き取った。
 彼女を失うことを最初から知っていたとはいえ、そのことを覚悟をしていた訳ではない。
 それは、娘から彼女のことを訊かれるだろう、という覚悟とは違いすぎていた。
 恐怖の度合いは計り知れない違いがあった。
 それでもきっと、後を追うことなど許されないことだろうと彼は思っていた。それに、しようにも出来ないだろう、とも思っていた。
 此処には娘が居る。例え母が死んでも娘は生きていく。その娘の親は、そう遠くない未来自分しか居なくなるだろう。だからこそ、後は追えない。それは妻への裏切りだ。
 だから彼は泣いて、泣いて―――そして娘を護って生きていこうと誓ったのだ。
 もっともっと娘を抱いていたかっただろう、彼女の代わりにはなれないだろうけれど。




「……それがあの写真だ。母さんは強くて優しかったぞ。お前のことを本当に可愛がってた」
 そのドレッサーは今もこの部屋にあり、化粧道具も引き出しの二段目に納まっている。
「お母さん……私のこと、好きだった?」
「ああ」
「お父さんも?」
「ああ。お前は父さんと母さんのこと、好きか?」
「うん、大好き!」
 えへー、と三つ編みを揺らして娘は笑った。親馬鹿、と思われるだろう。けれどそれは何故か誇らしくもあった。目に入れても痛くない、とはこのことだ。
 元気でやんちゃでしっかり者の愛しい娘と共に、この街で時間はゆったりと、時には忙しく、流れていく。
「……さーて、そろそろ昼メシの時間だ。何食いたい?」
「えっと……オムライス!」
「はいはい」
 キッチンに向かう二つの足音。娘は暫くして、ねえお父さん、と声をかけてきた。
「お母さんのお料理、美味しかった?」
「ああ、旨かったぞー」
 自分には、だけど。だって彼女は本当は料理音痴。自分は何でも食える舌の持ち主だけれど、(本人を含め)自分以外の人々には食べられたものではない。多分、娘も。
(まあ知らぬが仏、ってな)
 もうちょっと大きくなったら話してやろうかな、と思いながら、彼はフライパンを手に取った。
 壁の写真、只一つの家族三人で撮った写真。そこに映る永遠に美しい自分の妻、娘の母は、何時でも自分達を見護るように優しく微笑んでいる。





ED後の三人。子林檎は「パパ」より「お父さん」が良いなあ! と思って。
アルノーは妻子溺愛、娘も両親大好き、がモットーです。