何時の間にか眠ってしまっていたらしい。目を開けたら真っ暗だった。ベッドの中で考え事をしていたのだが―――ところで考え事とは何だっただろうか。眠ってしまったら頭から飛んでしまった。
 まあ、飛んでしまったということは、それ程難しい内容の考え事ではなかったのだろう。
 そう思うと、彼女はベッドから抜け出た。夜着の上にコートを羽織る。隣のベッドで眠る少女は起きる気配がない。安堵の息が漏れた。
 宿の外に出ると、空には星が輝いていた。
 ……ふとした瞬間にも、美しいものは存在するのだな。
 改めてそんなことを思った。








姫色のエクステリア  アルラク/ハリム後








 コートの上からでも自分の身体が冷たいことが解った。何もしていなくても、身体が冷たいことが解る。すとん、と草の上に腰を下ろした。宿から出たところにある広い草原。
「……何を隠れている? 素直に出てきたらどうだ、アルノー」
 後ろを見ないまま告げてみたら、樹の影から青年が姿を現した。乱暴に隣に腰を下ろす。ベルトが金属音を生み出した。
「別に隠れてた訳じゃねえけど」
「物陰に隠れて人の様子を見ているのは、隠れている、と称すものだ」
「タイミングを計ってたんだよ」
「剃刀のような鋭い思考で……か?」
 口の端を吊り上げて返してみたら、ぐっと言葉に詰まったような顔をした。その様がおかしくて、また笑ってしまった。
「ジュードはもう寝たのか?」
「ああ。初めて聴いたね、もう食べられないよー、って寝言。ったく、おこちゃまはこれだから……まあでも」
 何時でも元気一杯の少年の口調まで真似して、アルノーは手を広げて笑った。
「あいつもようやく何時もの調子、取り戻したからな。今日はからかうのはこの辺にしといてやるか」
「しかし……ジュードには相当きつかっただろうな」
「……だ、な」
 目の前で母を亡くした。母だけではない、村の人々も亡くした。そして今は、彼等が願った未来の為に旅を続けている。やっと今までのような明るいジュードに戻ったが、一体それまでどのような心境だったのか―――余り考えたいものではなかった。
「それで? お前は眠らなくて良いのか?」
「そっちこそ。何でわざわざ外に出てんだよ、冷えるぜ」
「……元よりこの身体は冷たいがな」
「そうじゃねえよ。だったらそれ以上冷やすな」
 声のトーンを少し落とし彼は言う。こういった時、彼は何時もの軽口とは違った顔を見せるのだ。
「気にするな。少し星空を見たいと思っただけだ。なに、普段から空は見ているが……落ち着いて見てみれば、美しいものだと思ってな」
「……いい加減、お前の描いてる絵ってモンを見せてくれても良いんじゃねえか? そんだけ美しいもの、美しいものって言ってんだから、沢山書いてあるんだろ」
「そ、それは…………アルニムを採りに行った時、水浸しになってしまったからない」
「そうだなあ。でも最近、またスケッチブック買っただろ?」
 にやにや笑うアルノーを見て、ラクウェルは顔をしかめて頬を赤らめた。
「なっ、何故知っている!」
「ユウリィが言ってたんだよ、ラクウェルが新しいスケッチブックを買ったのを見たけど、全然中を見せてくれない、ってな。どうだ、今もお前の荷物の中にあるんだろ?」
「……確かに……あるが」
「ほーれ見ろ。さて、今頃ジュードもしっかり働いてくれてるかな……」
 黒い服についた草を払いながら立ち上がる彼を見て、まさか、と眉を寄せる。
「お前……ジュードに何をさせた? 眠っていたのでは……」
「いいやぁ? 大したことじゃあないぜ? 俺がお前を此処に留めてる間に、スケッチブックを確保しろ……って言っただけだ」
 この男、何てことを!
 顔が真っ赤になっていくのを自覚しつつ、ラクウェルは急いで立ち上がり、服に付いた草を払うのもしないまま駆け出した。
「おっと、そうはいくか!」
「は、離せ! アルノー、お前何を考えているッ!」
「何って、見たいと思っただけだ。お前が見た美しいものだ、描きとめたものはさぞ美しかろうと思ってな、ジュードとチームプレイをしてみたんだよ」
「そんなところにチームプレイを持ってくるな! ええい、離せ! そこをどけッ!」
 宿の入り口へ向かおうとするラクウェルの肩を抑えながらアルノーは笑う。何だ、あんなに大きな剣を振り回していても、自分の力でその勢いは抑えられる。矢張り彼女は女だ。
「……なーんつって」
「な、何だと?」
「嘘だ、嘘。そこまで軽々しく人の隠してることに首突っ込むかよ」
 うそ?
 全力で宿へ行こうと前方に向けていた力を思わず抜くと、そのまま力を篭めていたアルノーの手が物凄い力で肩を押してきた。
「うお……ッ!?」
「う、うわ!」
 そのままアルノーが覆い被さる体勢で、盛大に草むらに転げた。何とか左腕をラクウェルの背中に持っていき微力ながらもクッションにしようと思ったのだが、そこからラクウェルの身体を上に持っていくような時間はなかった。
「ッてて……悪いラクウェル、平気か?」
「ああ。済まない、お前の腕を下敷きにしてしまった」
「謝んなよ、俺が自分で下敷きにしたんだ」
 そのまま左腕に力を篭めて彼女の身体を起こしてやると、その隣に座った。
「……しかし、嘘とはどういうことだ」
「ちょっとからかおうと思っただけだよ。安心しろって、ジュードは今頃夢の中でメシ食ってるさ」
「お、前……ッ私をからかったのか!」
「いやこんな簡単に引っかかるとは思わなかったぜ! ああ面白かった! お前の慌てる顔なんて珍しいもんな!」
 けらけらと笑うアルノーを見ては、怒る気も失せてきた。振り上げそうになっていた右手を下ろすと、ついため息が零れた。
「俺がお前のスケッチブック、勝手に見ると思った?」
「まあ、多少は、な」
「うわッ信用ねえ」
「そうではない。私の身体のことに首を突っ込んできたお前だ、そういったことにも首を突っ込んでくるのではないか、と思っただけだ」
 隠していることが知りたいと思うのは当然のことだ。それがどんな些細なことであれ、人はそう思ってしまう。そして知った真実は余り良いものではないということも多かった。
 今でも、自分の身体のことは彼に知られたくなかったと、心の隅で思ってしまう。
 ……哀しい思いをさせてしまうことに繋がるからだ。
「なあ、お前―――」
「そのうちさあ」
 遮られた。自然と口を噤んだ。沈黙。この間に言葉を続けることは出来た。アルノーは喉を反らして空を見上げたまま口を閉ざしていた。……遮っておいて何だこの男。本当に言葉を続けてやろうかと思った時、気付いた。
 そうか、こいつ、気分を落ち着かせているのか。
 前よりかはそうでなくなったが、臆病なところはまだ残っていた。だから言って良いものかと迷う。だから高ぶる気持ちを落ち着かせようとしている。一度話を遮って生まれるこの沈黙でこの静寂で、彼は自分の心に水をかけたのだ。
「…………スケッチブックは、落ち着いてからで良いけどよ」
 彼の気持ちを悟ってから更に十秒ほどの静かな空気、その後でやっと口を開いた。両手を腰の少し後ろ辺りについて、軽く上半身を地面の方にやった。
「お前が前に、俺に見せようとした身体、さ」
「……ああ」
「そのうちさ。見せてくれよ。……あの時は怖くて出来なかったんだ。や、お前が女だからって意味でもあるぞ? あるんだけど……只、あの時は怖かったんだよ。理解はしてたんだ。してたんだけど―――お前がそんな身体だ、とか、本心では受け入れたくなくて」
 でもその身体を見てしまえばもう戻れない。もう否定は出来ない。全て真正面から、彼女は病気だ、大人になれない病気だ、医者の手にも余る病気だ、そう受け止めなければならない。それが何より怖かったのだ。
 後ろについていた手を離すと、その手で頭を抱えて微かに身体を縮こませた。そう、丁度あの時。ラクウェルの身体の冷たさを初めて知ったあの時のようにだ。
「でももうやめた。お前のこと助けるって決めたんだ。なのにそこから逃げるなんて出来るかよ。お前は闘ってるんだぞ。ブリューナクとだけじゃない、病気と闘ってるんだ! なのに俺は何も背負ってないから、だから、それなのに」
「アルノー、もう良い。解ったから。……解ったから落ち着け」
 低く彼女は囁き、外に跳ねた癖のある髪に手を置いた。恐怖に身体を震わせていた青年がぴたりとその震えを止めて頭を抱えていた両手を下ろす、そしてじれったいくらいにゆっくり顔を上げた。捨てられた子犬のようだな、とその顔を見て笑いそうになった。堪えようとしたのだが無理だった。く、と喉から声が漏れた。
「な、……に、笑ってやがる」
「いや、済まない。お前の顔が余りに、……そう、……ああ、いや、…………お前と同じ、震えそうになっていた私を止めてくれたから」
 捨てられた子犬のよう、と素直に言うのは悪い気がして、つっかえながらそう答えるも、その答えに嘘はなかった。
 お前が居てくれるから私は震えない。
 あの日言ったことを嘘にはしたくなかった。
「そうだな、……しかし此処は寒いからな。今は見せられん」
「誰も外で脱げなんて言ってねえよ。誰がお前のハダカを人の目に晒すか」
「お前の言い方では、今すぐにでも見せろ、と言っているようなものだったぞ。しかも裸になどなるものか。そこまで脱ごうとは誰も思っていない」
 そうだったかな、とアルノーは目を細めた。それから、その瞳を閉じ、吐息を漏らすように笑った。苦笑にも似ていたが、何かに安心したような笑い方だった。
「んじゃ、そのうち、な。今はあのおこちゃま達が居るからそういうことが出来るか解んねえけど……二人で旅に出たら見放題だもんなあ?」
「……ほう、お前、さてはマゾヒストだな」
「何ですとッ!?」
「私に殴られたいと見た」
「…………すいません調子に乗りました」
「解れば良い」
 こういう軽口。これが気分を和らげる。
 ああ、私はまだみんなと歩いていけるのだな。
「さて……そろそろ部屋に戻るとしますか。明日も早いぜ」
「そうだな」
 アルノーに続いて立ち上がろうとしたラクウェルは、ふと見上げたところに静止するように掌があり、両手に篭めていた力を無意識に抜いた。
「どうした?」
「いや、今気付いたんだけど……お前、リボンしてなかったんだな。何か普段と違うって思ってたんだけど」
「……今更か。寝る時まで縛っていると思ったのか? お前」
 そうじゃなくて。
 さっき自分の気持ちと闘ったばかりなのに、またアルノーは闘っていた。
 殴られるかも知れない。
「何かどっかの姫さんみたいだって思って」
 あ、言っちまった。
 ラクウェルは仰天して目を見開き口をあんぐり開けて、瞬きすら忘れてアルノーの緑色の瞳を凝視していた。ばつが悪くなってきたが、その瞳からは視線を逸らす事が出来なかった。どうするべきか悩んでいたら、彼女の顔が一気に赤くなった――これは何時も思うのだが、どうして彼女は一気に顔を赤くするのだろう――。
「なッ……な、何をいきなり言うんだッ!」
「だから、どっかの姫さんみたいって。お前何時も魔物と闘ってばっかで、傷沢山作って。しかも女らしい言葉遣いもねえし、でも何か姫さんみたいだって思ってよ」
 貶しているのか褒めているのか解らない言葉だ。多分褒めているつもりなのだろう。何だかおかしくなってきてしまって、ラクウェルは頬を赤らめたまま苦笑した。
「そうか、だが残念だな。姫だとしても、おしとやかさは欠片もない。口調もこちらの方が性に合っているのだ」
「ま、そりゃそうだ。ラクウェルがユウリィみたいな口調になったら寒気がするぜ」
「……お前、矢張り本当は私を貶す為だけに姫のようだと言ったのだな?」
「ち、違うって言ってるだろ! ……ああもう、解った!」
 堂々巡りになりそうで、アルノーは片手で髪を掻いてからまだ座ったままのラクウェルの身体を持ち上げた。驚いて落としそうなほどに軽かったその身体を横抱きにしたら、頭半分くらいの身長差の癖に少女を酷く小さく感じた。
「これで姫さんだ。文句ねえな」
「お前が何時になくきざったらしいことを除けば、な」
「い、良いだろッ! これくらいしてみたかったんだからよッ」
 そのまま大股で宿まで歩き出されたものだから、ラクウェルは両腕の上でため息をついた。
「……全く。勝手にやっていろ」
 その癖身体は彼の胸と両腕に預けていたのだ。


 それでも部屋の前まで行って、どうせだからベッドまで運んでやるよと言われた時には、ユウリィにそんな所を見せられるかッ、と顎を抱き上げられたまま拳で強打してやった。
 その思わぬ音の大きさとアルノーの短い叫び(彼なりに夜遅くだから悲鳴を我慢した)にジュードとユウリィが起きてしまったが、その時には既にラクウェルは床の上に立っていて、その傍らには顎を押さえて涙目で蹲るアルノーが居るのみだったそうだ。





バカップルの夜。なんか星空の下で語らう二人が書きたかったらしいです。
時期的にはハリム後〜クリアまでかと。