「痛いところ突かれてたな、お前」


 とうに暗くなった通りを並んで歩いていたら、ユーリが肩をすくめて言ってきた。


「盗み聞きですか」
「いや、堂々と聞いてたぞ。お前が気付かなかったってだけだ」
「尚更たちが悪いです」


 反論しつつも、心の中にはもやがかかったままだ。
 だって、自分が怪我をするのと誰かが怪我をするのとは全く違う。


「……エステル。朗報だ」
「はい?」
「『今日の夕飯は腕によりをかけて作るから、早くエステリーゼ様を迎えに行ってくれ』、だと」
「は、はいっ?」


 まさか。エステルの顔が嫌な予感に引きつる。だって、お説教の時料理のこと言ったら落ち込んでる感じしていたのに。


「良かったなあ、エステル。気を失うくらい旨い料理で、今夜はぐっすり眠れるぞ。お前の言葉で料理の腕を磨く気になったんだな、あいつ。いやー、熱心だ」
「ユーリ! ど、どうして止めてこなかったんです!」
「お前な、あの笑顔を前にして簡単に断れると思ってんのか? 爽やかすぎるあの笑顔だぞ?」


 言われれば確かにそうだ。星が浮かびそうに爽やかな笑顔を前にしては、遠慮します、と言うのは難しい。


「安心しろ、気付かれないように味を調える。そうじゃなきゃオレだって食えねえからな」
「はい……お願いします」


 そんな、ありきたりな会話だ。
 いつからこんなに尊くなったのだろう。
 当たり前に繰り返すと思っていた幸せだって、いつか消えてしまうと知ったからか。


(いつからわたし、こんなに欲深くなってしまったの)


 生まれた答えに嫌気がさして、エステルは無意識に手を拳にする。


「やっぱりわたし……人のこと、言えません、か?」
「ああ。全然」
「そこまできっぱり言い切ります……?」
「言い切るさ。お前は、オレが誰かを庇って怪我したら怒るけど、自分が誰かを庇って怪我しても自分の責任だって笑うから」


 そんなの、矛盾している。
 誰かを癒す力を持つ者は、自分のためにその力を使ってはならないとでも言うのか。
 誰かを傷付ける力は、自分を守る力に出来るのに、癒す力はどうして駄目なのか。
 だったら、彼女の力は何のためにある。
 誰かを癒すだけで、自分は癒せないのか。


「だって、甘えてるみたいでしょう」
「そういう考えこそ甘いって言ってんだよ」


 いまいち噛み合わない会話にエステルが眉を寄せると、ぐいと手が引かれた。強く握りこんでいたせいで、解かれた手のひらが少し違和感を覚えた。ユーリの歩く速度が少しだけ早くなる。


「お前の力は確かに誰かを癒す力だ。それがお前の役割だ。でもそれは、自分の癒す力でもある。それを突っ撥ねて誰かを癒す? だめ。全然だめ、分かってない」
「だ、だめって」
「自分が傷付いて誰も悲しまないって思ってるのが甘いんだ。もうちょい人のこと悲しませる方法、考えろ」


 なんて無茶苦茶なことを言っているんだ、この人は。故意に誰かを悲しませてどうするというのだ。エステルは更に眉をよせ、彼の言っていることが何なのかを必死に考える。
 ユーリはそんな彼女を見てから、視線を前に戻す。部屋まではあと二分の距離。
 人のことを言えるのか、という問いかけに躊躇いを見せるようになっただけ、あの頃よりはましになった。けれど、結局はその程度だ。彼女はまだ、自分のことで誰かが悲しむことを受け入れようとしない。


「誰かを守っても自分が傷付いたら意味ないんだろ? じゃあお前はどうなんだ。必死になって誰かを助けてぶっ倒れて、それこそ意味ねえよ」
「わたしは良いんです」
「……だから人のこと言えないって言ってんのに」


 涙の一つも、流せば良い。
 そうすれば何かが見つかりそうなのに。
 それとも、エステルが怪我をした時、怒るのではなく泣いて悲しめば、分かってくれるだろうか。


「悲しんじゃだめですから」


 あと一分。繋いだ小さな手に力が入る。


「わたしが消えても」


 嫌だ、と、言う筈だった。
 けれど、後ろを振り向かなくても分かる真剣な表情に、否定の言葉は出てこなかった。


(オレが消えたら、大泣きする癖に)


 その一言すら言えず、扉は目前に迫っていた。









 not/受け入れたくない、貴方の悲しい願いも、身勝手な自分の幸せも
 否定の言葉を言いたくても言えない、そんな二人。