そうこうしているうちに女の子の母親は見付かった。艶やかな長い黒髪を揺らす後ろ姿は、確かに背を高くしたら間違えられてしまいそうだ。ぶんぶん手を振って別れを告げる女の子の隣で、母親は柔らかな笑みを浮かべて頭を下げた。よくよく見れば、その笑顔は似ている部分があった。きっとあの女の子も、もう二十年も経てばあんな柔らかで上品な笑みを浮かべる日が来るのだろう。


「良かったです、見付かって。……でも本当に、後ろ姿、そっくり」
「…………お前さ。それ、褒めてんの?」
「え?」
「だから。オレのこと、褒めてんの、って」


 今一ユーリの言っていることが理解出来ていないエステルは、きょとりと首を傾げてから、答えた。


「よく分かりませんけど……ユーリはとっても綺麗だと思いますよ?」


 綺麗。


「……どうもありがとうございますー」
「えっ何でそんな棒読みなんです……!? だってユーリ綺麗なんですもん! 顔も整っていますし、髪もさらさらだし、羨ましいです!」


 む、とユーリが眉を寄せた。綺麗とか顔が整っているとか、前々からそう言われてきたけれど、未だに慣れることが出来ない。何しろその延長には『女みたい』が待っているのだから、褒められているのに悔しくなってしまうのだった。
 この容姿が嫌いな訳ではないのだが、どうもエステルに容姿を褒められるのは嫌な気分だった。彼女に褒められること自体は嫌ではないのに。
 ジュディス達に荷物を預けてきたので今は手ぶら。ユーリは大袈裟にため息をつくと、がしがし頭を掻きながら歩き出す。


「なあエステル」
「はい?」
「お前もさ。いつかは、あんな風になるのか? 誰かと結婚して、子供が出来て、子育てして、ああ幸せだなとか思って」
「……どう、なんでしょうね。あんまり考えたこと、なかったです」


 一体ユーリがどこへ向かっているのかも分からず、エステルは半歩後ろを歩きながら考えた。誰かと結婚して、子供が出来て。


「ユーリは?」
「オレ?」
「はい。ユーリはそういうの、考えたことあるんですか?」
「……まあ、オレも正直言うと、想像出来ねえけどな。誰かと結婚するとか、子供だとか、考えたことなかったし」


 まあそれがエステルであったら幸せなのだろうけれど――正直、想像は出来ない。だって彼女は彼女であって、まだ誰かの妻になったり母になったりはしない。


「でも、寂しいかもな」
「……寂しい?」
「母親の顔したオレの知らないエステルを見るのは、寂しいのかも、ってこと」
「いつかそういう自分になるんだって、未来を想像したりするのは面白いけど、でもちょっと寂しかったりもするんです?」
「そんなとこかな」


 答えながらユーリは少し驚いた。エステルなら、結婚するならこんな生活で、こんな子供が欲しい、と嬉しそうに話すものだと思っていた。けれど現実は違った。結婚したり子供を持ったりする自分が想像出来なくて、逆に訊かれるだなんて。


「でも、お前の子供っていうと、やっぱりどっか抜けてそう」
「じゃあユーリの子供は、きっと考えるより行動派、ですね」
「抜けてんのに行動派……ね。手のかかる子供だ」


 え。
 エステルは自分の耳を疑った。彼が笑いながら言った言葉の真意を、間違って受け取ったのではないか。ぐるぐる考えてみたが、結論は全て自分の都合の良いものにしか辿り着いてくれない。
 だって。
 それって。
 立ち止まってぽっかり口を開けてこちらを見つめるエステルを振り向いたユーリは、少し複雑そうな顔をしてから、彼女の頭に手を置いて、くしゃくしゃと撫でた。そうして、まだぼんやりしているその瞳に向かって、笑って告げた。


「頑張れよ、お母さん。お前が頑張ってくんなきゃ、オレ一人じゃ意味ねえんだから」


 ちょっと。
 何ですか、それ。
 ずるい言い方。


「……ユーリ」
「何?」
「そういうの、ずるいです」
「そうか。まあオレは元々ずるいんだ。今更だろ」


 確かにそうだけど。
 そうだけど。
 思っても、エステルは頬が緩んでいくのを抑えられなかった。まだ頭の上に乗っかっているユーリの手を握って、彼女は彼の顔を見つめて笑った。


「はい、一緒に頑張りましょうね」


 ――今度はユーリが目を見開く番だった。一体何にそんなにびっくりしているのか、とエステルは首を傾げて彼の黒い瞳を見つめる。


「あの……何かわたし、変なこと言いました?」
「……一緒に頑張りましょうね、って、具体的にどういうことだよ」
「わたしがお母さんなだけじゃなくて、ユーリもお父さんなんだから、ちゃんと一緒に育てるんです」
「ああ……ああ、そう。そうだな。確かにそうだ」
「…………? もっと他に頑張ること、あるんです?」


 それでも尚も不思議そうにするエステルの顔は、まるで何でも知りたがりの子供。
 だって、お前はまだ知らないだろ。
 子供が出来るには、大人なことしなきゃいけないんだよ?


「そのうち分かるよ。嫌でも、な」


 そして彼は握られたままの彼女の手を引っ張って、カフェテラスへと歩き出す。
 もうそろそろあの二人も居なくなった頃だろうし。









 迷子と夫婦。
 雰囲気が一方通行のいちゃいちゃです。