「ジュディスが、せっかくのお祭りなんだから、って。それで……あの……凄く張り切ってて。でも何だかわたしにはちょっと綺麗すぎる気がしちゃって」


 ハルルの木の下に腰を下ろしたユーリは、隣に立ってもぞもぞ言い訳をしているエステルを見上げ、何言ってんだこいつ、と頬を指先で掻いた。
 ずっと部屋にこもっていたのはこのためで。ジュディスが張り切っていたのは多分自分と、それからエステルのためで。


(……あいつも、もの好きだよなあ)


 それじゃあ私はリタと一緒に踊ってくるから、と笑って行ってしまったジュディスは、意味深な笑みを浮かべていた。つまり、そういうことだ。多分、エステルを妹のように思っているのだろう。妹の恋を応援する姉――なのだろうか。


「良いだろ。そういう服着る機会なんて、滅多になくなったんだから」
「そう、なんですけど……あの、変じゃないです?」


 僅かに化粧をした顔は、困ったような色をしていた。薄く紅を引いた唇は艶やかだ。ユーリは答えを返そうとして、その前にふと質問する。


「お前、座らないの?」
「え? ……あ……座っちゃったら、汚しちゃいますし。良いんです」


 ラピードもどこかへ行ってしまったし。美しく咲くハルルの木の下には自分達以外誰も居なくて。下の方ではわあわあと祭りを楽しむ人々の声。


「……エステル。ここ、立て」
「は、はい」
「で、後ろ向く」
「はい」


 座る自分の横に立たせ、そして背を向かせる。ユーリは手を伸ばして彼女の細い腰を引き寄せた。突然のことに対応出来ないエステルは無防備だから、そのまま自分の足の上に座らせるのは簡単なことだった。


「これなら汚れないだろ」
「重たくないですか?」
「腕回してくれたら、重たくないかも」
「……もう。からかわないでください」


 間近に見える横顔は唇を尖らせて、赤い頬は夜の闇の中でも見てとれる。風にヴェールがふわりと揺れ、桃色の髪からは柔らかな香り。


「ハルルの木。……綺麗ですね」
「だな。この木見る度、やっぱお前の力、凄えなって思う」
「そうなんです?」
「その力、だけじゃなくて。……何つーか、な。凄えよ、お前は。うん」


 腰を支える腕に力を込める。エステルは不思議そうな顔をするが、ユーリは言葉に出来ない感情を無理に言葉にしようとしないと知っているから、それ以上は追及しなかった。空に手を伸ばす花の向こうでは、星々がちかちかと優しく煌めいていた。


「……ユーリは、おめかししないんです?」
「そういうの、性に合わないんだよ。着飾ったりとかしたことないし。動きやすいのが一番だ」
「ジュディスと同じこと言うんですね。二人して勿体ないですよ」
「んなこと言うなら、着飾った素敵な殿方とダンスでもしてこいよ」
「何でそういうこと言うんですか」
「……何が?」
「何でもないですよ」


 知ってる癖に、と、拗ねたように小さく呟く。
 彼女が自分のことを考えてくれていて、このドレス姿だって見て貰いたいのはただ一人だけだって。
 知っているのに、からかうのだから。


「エステル。ちょっと、立つぞ。腕回して」
「え? え、え!? ……きゃあ!」


 腰を支えていた手をぐいと引き寄せる。もう片方の手は膝の後ろに。彼のやろうとしていることが分かって、慌ててエステルはユーリの肩に手を回す。ふわりと浮き上がった身体は、数秒後には地に着く。桃色の靴が緑の草の上に降り立った。


「エスコートして貰うっつーのは嫌だけど、……ま、仕方ねえか」


 肩をすくめて笑ったユーリは、呆然としているエステルの前に立つと片膝を折って、すいと片手を差し伸べた。


「宜しければ、私と踊って頂けますか、姫。貴方をきっと、あの星空へお届けします」
「……………………ユーリ?」
「……って台詞。お前が読んでた本にあったよな?」


 暇潰しにぱらぱらと捲った、彼女の持っていた本。その中にあった、騎士の言葉だ。パーティをこっそり抜け出した一国の姫が、庭で出会った一人の騎士と踊る。ダンスなんてしたことのない騎士が、それでも姫と踊りたくて、決死の思いで紡いだ言葉。


「正直な話、踊るなんざしたことがない。下町のガキ相手ならやったことはあるけど、子供だましの適当な踊りだ。ステップも知らないし、踊り方も知らない。綺麗な服もないし、一つも着飾らない。それでも良いってんなら」
「……。……わたし、姫なんかじゃないです」
「姫だろ」
「もう違いますよ。それは……ヨーデルのお手伝いはしていますけれど」
「『帝国の』、じゃないよ」


 促すように手が揺れた。
 帝国の姫じゃなくて。
 でも、姫で。
 それはつまり。


「エステル姫」


 どこか皮肉っぽく笑うのに、その声は酷く優しくて。
 エステリーゼ姫、じゃ、なくて。
 赤かった頬がやっと元通りになり始めたのに、また赤くなって。
 乗せられた手すら、熱いような錯覚。


「それじゃあ……ユーリは、王子様です?」
「やめてくれ。そんな柄じゃない」
「『帝国の』、ではないですよ?」


 微かに聞こえる曲が、心の中で広がっていく。仕返しです、と笑う少女は耳まで真っ赤で、照れたように笑っていた。




 そうしてハルルの木の下で、二つの影が踊る。
 白いドレスがふわりと翻る度、黒い足がぎこちなくステップを踏む。
 危うく足を踏みそうになって足を止めると、少女は桃色の髪を揺らしてくすくす笑う。
 光と影は、互いを求め合うように身を寄せて、一つになって草の上を舞った。




「……難しいもんだな。踊るっていうのは」
「わたしも、踊ったのは久し振りです」
「何か……悪いな。こういうのしたことねえから、どうしたら良いもんか、さっぱり分かんねえ」
「そうです?」


 曲が終わり、わあっと歓声が上がるのが下の方で聞こえた。同じく足を止めた二人は、身を寄せあったまま顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。


「エステル」
「はい?」


 ああ、やっぱり、姫とかつけるのって痒いな。エステルって呼ぶのが一番良い。
 思いながらその名を紡ぐと、こちらを見上げた瞳が煌めく。その頬に手を添えて、少し身を屈めて唇を塞いだ。紅のせいだろうか、不思議な感触がした。


「……ん、やべ。ついちまった」


 そうして唇を離し、もしかしたらと思って指先で自分の唇をなぞってみたら、紅がついていた。ぽっかりと口を開けているエステルを見て、


「悪い、ちょっと取れちまったな」
「……平気……です」


 紅に負けないくらい顔を真っ赤にして俯いた。


「さーて、と……そろそろみんなんとこ、行くか。あんまりここに長いこと居ると、またからかわれちまう。ま、もうちょい待つけど」
「?」
「そんな真っ赤な顔したまんま、行けねえかんな」


 こつりと額を触れ合わせて、目の前でにやりと笑う青年の顔に、また顔が赤くなるのに。その様子にまたユーリは笑って、今度こそ身体を離した。どきどきする胸を押さえながら、エステルはこっそり深呼吸して、それから言う。


「ユーリ」
「ん」
「……ありがとう、ございます」
「いいや、お粗末さまでした。足、踏まないようにするので精一杯だったけどな」


 踊りのことじゃ、ないけど。
 ……でも、それでもいいや、とエステルは思い、笑った。
 彼と共に星の元へと舞ったのだから。









 踊りじゃなくて、キスのお礼なんですよ!
 ……って、知ってるのにユーリはわざと踊りに対してのお礼って受け取ったってことです。