夜、時々部屋を出てどこかへ行っていることは知っていた。
多分、自分だけではない。リタは気付いていたし、ジュディスもレイヴンも知っている筈だ。カロルもあれで鋭いから気付いているかも知れないし、ラピードは自分に知らせてくれたくらいだ。
誰もが彼女の心を知っていて、けれど彼女を勇気づける言葉を使わなかった。勇気づける言葉が、彼女を更に追い詰めると、知っていたから。
それでも、見て見ぬふりをするしか出来ないことに、苛立ちを感じているに違いない。
(一番短気なのは、オレ、か)
何も出来ないかも知れない。傷付けるかも知れない。一時しのぎの優しさで、追い詰めるかも知れない。
それでも放っておくことは出来ない。
……心配だから、閉じ込めてしまうのか。
(知らないうちに、オレも道具扱いしてるのか?)
そんなことはない。アレクセイとは違う。……必死に思っても、可能性はなくならない。
治癒術に頼り。
微笑みに癒され。
優しい言葉を求め。
……それがエステルだから望むものなのに、もしもそうでなかったとしたら、自分は彼女を知らず道具扱いしているも同じだ。自分を満たしてくれる道具と見ていることに繋がってしまう。
宿を出て少し歩くと、町の外れに一つの影があった。草の上に仰向けになって、星空を見上げる一人の少女だ。
「んなとこに寝転がってたら踏まれるぞ」
その声に反応したように、がばりと勢いよく身体を起こしたエステルは、その行動力に仰天したユーリ目掛けて全速力で走り、突進するように胸に飛び込んだ。思ったよりも勢いがあったので、油断していたユーリはバランスを崩し、背中から草むらに転んだ。
「ユーリ、生きてます!? 影あります!? おばけじゃないです!? 違いますよね、死んでなんかないですよね!?」
……何だか前にもこんなことがあった気がする。が、今回はあの時より威力が増大している。
「死んでねえって! さっきまで寝てたのに!」
「ほんとです? 怪我とかしてません? 寝ている間に誰かに襲われたりとかっ」
「そしたらこんなにのんびりしてねえよ!」
そうして頬やら胸やらをぺたぺた触られ、やっぱり前にもこんなことあった気がする、と思う。押し倒されて上に乗られて、ではないけれど。
「……そう……ですか。……良かったです。わたし、てっきりまた大怪我したんじゃないかと」
「何でそんなことになるんだよ」
「……時々、夢を見るんです。わたし、ユーリを殺してしまって。何度も、何度も、間違えて。殺されたかったのに。わたしが、殺されるべきだったのに。どうして時間は戻らないんだろうって考えて、どうして傷が治らないんだろうって思って、ずっとずっと治癒術をかけるのに全然治らなくって、」
徐々に早口になっていくのを聞き逃すほど、自分は彼女に甘くはなかった。暗がりの中で震える声を放つ少女の顔は見えなくても、その瞳が潤み始めていることなんて、嫌でも分かってしまうのに。
「……エステル。もう良い」
「もう嫌だって思ってわたしも死のうと思ったって出来なくて、何度も何度も傷を作るのに死ねなくて、どうしてこんなになっちゃうんだろう、どうしてわたしはいつもこうなんだろうって、泣くことしか出来なくて、それで、」
「エステル!」
諌める為に声を荒げたら、彼女の瞳からぼろりと大きな涙が零れた。泣かせる為に声を荒げたのではないのに――それでも、時が経てばきっと泣いていたのだろう。
「もう、言うな。……助けちゃいけなかったかも、なんて、思わせるなよ」
こんなにも自らを責める発言をされてしまっては、彼女を救ってはならなかったかのように思えてしまう。エステルは一回しゃくり上げてから、目を合わせまいと目線を逸らした。
「……ああ、そうだな。まだ、お仕置きしてなかったっけ」
腹部に乗られていると言ってもエステルは軽いから、上半身を起こすことは簡単だ。自分が少し身体を起こし始めたところで、初めて彼女は自分がユーリの上に乗っていたと気付いて、慌てて隣に座り直す。と。
ごつっ
「………………〜〜〜〜っ! ……!」
「女だからってオレ容赦しねえから。……あのな。死んだって良いって二度と言うなって言ったのに、殺してとか二回も言って。言葉が違えば許されると思ってんのか?」
「そんなこと、な、ないじゃないですか」
「真正面から不安なのとか嫌なのとか、オレに言えっつんだよ。他の奴不安にさせるの嫌でも、オレなら構わねえから、ちゃんと言う。捌け口確保しないと、潰れるぞ」
「……は、い」
思いっ切り殴られた頭を押さえながら、エステルは小さく頷く。多分――また、彼女は同じことをするだろう。その度に殴ることはしたくないけれど、『慣れる』までは仕方ない。
「……ユーリはどうして、わたしを殺さなかったんです」
「殺したら、オレ、みんなに殺されちまうからな。かと言ってお前に殺されてもどうしようもねえし。殺してくれ、なんて言っときながら、本当は生きてたい、って知ってんだよ。騙せるとでも思ってんのか」
「ど……うして、そんなに無茶なんです」
「さあ。どうしてかな。お前に言われたくないけど」
「わたしより無茶ですよ、ユーリは」
「そうか。光栄だね」
「何でです」
「さあね」
だって、彼女にそれだけ心を傾けていることの表れだ。彼女のために無茶をして、彼女を助けるために動いて、彼女の微笑みのために言葉を紡ぐ。
それで彼女が少しでも満たされるなら、それで良いと。
そのためなら、自分をすり減らしても良いと。
こんな感情は初めてで、厄介で――何と、心地良い。
「ユーリは、」
「?」
「わたしを、心配してくれているんですね」
「……そう聞こえてなかった?」
「聞こえました。でも、自分の心配はもっとして欲しいです。自分の幸せも願ってください。足りない分は、わたしも願いますから」
全く彼女は、優しい割には自分の気持ちの全てを理解していない。
彼女の幸せを願えば、自分の幸せも叶うのに。
「……ほれ、帰るぞ。リタなんて、心配してこっちの部屋に忍び込んできたくらいなんだ。ちゃんと謝っとけよ」
「はい!」
右手を差し伸べると、彼女は笑って左手を重ねてくる。その手を握る、それだけで心は広がった。
他人の幸せを願い自分をすり減らすのは、禁欲的なことではない。
叶えられた幸せは――自分の心を確かに満たすのだから。
エステルのこと大事すぎて迎えにいけないリタ、が書きたかったんです。