「……死んだって良いって二度と言うなと言ったのに、殺して、なんて二回も言って」
「………………」
「それを叱ったと思えば、今度はオレの掠り傷治すために自分の大怪我を覚悟して」
「……ごめんなさい」
「それで謝ったって、お前はやめたりなんかしないんだろ? それくらい誰にでも分かる」


 素足を床につけ、隣のベッドに腰を下ろす。少し歩いただけでも頭がふらつく。体内に血が足りていないのだ。身体を流れる血がとても冷たいように感じる。目の奥が重たいのを紛らわすように深く息を吐くと、ユーリはベッドに仰向けになってこちらを見ているエステルを見下ろした。


「オレの掠り傷は、お前の大怪我より重いのか?」
「…………重いです。痛いです」
「……ま、言うと思ったけど」
「痛い、ですよ。苦しいです。辛いし、嫌です」


 身体が刻まれるより、心を裂かれる方が苦しいなんて、知らなかった。
 人を愛するということがどんなことか、きっとわたしは分かっていなかった。
 幸せと思うと同じくらい、もしくはそれ以上に辛い思いをするんだ、と。
 辛いのに、痛いのに、それでも愛することをやめられない呪縛の愛しさを。
 分かってなかった。
 ひとつも、分かっていなかったんだ。


(……これは……リタに、半殺しにされる、な)


 結局泣かせてしまった。また無意識に頬に手を伸ばして、手前で手が止まった。
 血に染まったこの手では、彼女の涙は拭えない。
 罪に縛られたこの心では、彼女の心に入れない。
 ――ああそうか、これが自分の罰なのか。
 本当に求めているものを手に入れられない、これが罰なのか。
 止めた手を戻そうとして腕を動かそうとしたのと同じタイミングで、柔らかい手がその手を取った。
 壊してしまうだけの手に、壊すのが怖くて触れられなかった存在が触れていた。


「でも。わたしは、一緒に居たくて。辛いって分かってても、駄目で。ユーリが守ってくれるから、また甘えて。……駄目ですね、わたし」


 そうして今度こそ無意識を止めることは出来ず、横たわった少女の小さな身体を起こして胸に抱いた。肩に触れた部分がじんわりと暖かくなる。腕を回して引き寄せるだけでも、細い身体を砕いてしまいそうだったのに。


「……ごめん」
「……何がです?」
「いいから」


 何に謝っているのか自分でも分からなかったが、何か謝らなければならない気がした。
 自分でも訳が分からず、ごめん、を繰り返す口が、まるで自分のものではないような気がした。
 こうして彼女を胸に抱いているのが、嘘のような気さえした。
 そんな不思議な空間の中で、ユーリはやっと理解した。


 泣かしてしまう存在は、彼女であったということを。










「あの……ユーリ……だ、大丈夫です……?」


 翌朝。結局泣き腫らした瞳をしていたエステルを見たリタは、顔を真っ赤にしてユーリの頬をグーでぶん殴った。最初は蹴るつもりがどうして拳に変わったのかは知らないが、喋るのも痛いほどになってしまった左頬は、見るからに腫れている。


「……大丈夫じゃねえよ。痛えのなんのって」
「あの、これ……水で濡らしてきたので。使ってください」


 ひんやりと濡れたハンカチを受け取って左頬に当てる。熱をもった頬が冷やされていく心地よさに息をつくと、視界の隅でリタがまだむすっとした顔をしてこちらを見ていた。半殺しにはされなかったが、後を引く痛さも嫌だ。……何でオレ、こんなめにばっか遭ってんの。


「エステル、もう身体は平気?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「駄目よ、無茶ばっかしちゃあ。大将の無茶に付き合ってたら、嬢ちゃんもたないよ?」
「だよねえ、ユーリってば時々何にも考えてないみたいに進んでっちゃうから」
「エステル、ちゃんとユーリの手綱、持っていなきゃ駄目よ? もしもの時にはしっかり引っ張るのよ?」
「……お前ら、ちょっとはオレのこと心配したりしねえの?」


 何やら散々なことを言われているのでユーリが上手く動かない口でもごもご言ってみると、カロルとレイヴンとジュディスは顔を見合せ、そしてこちらを向いた。


「だってエステルを助けたかったんでしょ? なら止めないよ」
「切り刻んでもしぶとく生きてそうだもんねえ。黒いのはゴキブリ並の生命力の象徴かと思っちゃうわよ、おっさん」
「まあでも、エステルを残してサックリ死んじゃうとは思えないし。心配するだけ無駄よね?」
「あ、あの、……ユーリ……ごめんなさい」
「何でエステルが謝ってんだよ……」
「あの、わ、わたしが原因なので……」


 何も言えなくなったユーリに、エステルが泣きそうになりながら謝る。リタはぷいとそっぽを向くし、ラピードはベッドの脇で欠伸しているし。
 死にはしない、と信じてくれていたのは嬉しい筈なのに、この言われようは一体何なんだろう。彼らなりの励ましなのだろうが。


「……元気になったか?」
「え」
「無茶させたな。……色々と」


 精神にも、身体にも、無茶をさせていたのだろう。無茶をするなと言っても無駄なことはもう分かっている。けれど彼女の表情は昨日よりも生き生きとしているように見えた。泣きそうな顔をしているのにおかしなことを考える、と自分でも不思議に思ったが、その泣きかけの瞳の何と美しいこと。
 きっと自分は、ずっと彼女に触れることをどこかで恐れ続けて生きていくのだろう。
 けれど、後悔はしないのだ。


「自覚してないくらい、好きで無茶してるんです。でも、どれだけ頑張って無茶しても、ユーリの無茶には勝てませんから、安心してください」
「そりゃ大変だ。これまで以上に『頑張って』見張ってねえと」
「そんなこと頑張んなくって良いです」


 ぷいと拗ねたように顔を背けたエステルを見て、ユーリが喉でくっと笑う。それを横目で見たエステルは、こちらに顔を戻して花のように微笑んだ。
 泣いて朽ちても、枯れない花だった。









 暗くてシリアスでドロドロしたのが書きたくて。