頬を撫でる草の感触がくすぐったくて瞳を開ける。いつの間にか眠っていたらしい。風は少し冷たくなったようだ。薄く開いた瞳が映したのは、隣に座っている少女の桃色の衣服だった。


「……あ、ユーリ。よく眠れましたか?」
「オレ、いつ寝た?」
「気が付いたら気持ちよさそうに眠っていたので。クローバーはわたし達で捜しましたから、安心してください」


 小さな布の袋を軽く持ち上げ、エステルは笑った。寝転がったままそれを受け取ったユーリが袋の中を覗くと、中には六つの四つ葉のクローバーが入っていた。


「みんなで一個ずつ見付けたんですよ」
「……ラピードもか」


 左隣に寝そべっているラピードは、どこか得意げに鼻を鳴らした。頭をぐるりと動かすと、見えるのは広い草原。だが、自分達以外に人は居ない。


「で、みんなは」
「用があるって行っちゃいました。宿に戻っているから、ゆっくりしてきなさい、と」
(……またあいつらは)


 多分言い出したのはジュディだ。で、何も知らないカロルは何となく着いてって、頬膨らませたリタを引きずっておっさんも行っちまった、と。
 簡単に想像出来てしまって、ユーリは情けない気持ちを覚えて袋をエステルに返した。


「エステルはいいのか? ここに居て」
「眠っているユーリをそのままにして行けませんよ。それに、ユーリには少し休んで貰いたいと思っていたところなんです。わたし達が言っても、拒否されてしまいますから」


 野宿の時の見張りは勿論だが、彼がいつも仲間のことを考えていることは、エステルだけでなく皆分かっていることだ。だが、休めと言っても簡単には承諾しないことも同時に知っている。確かに休んではいるが、こんなに無防備に眠ることは滅多になかったのだ。
 久々によく寝たかな、とユーリは大きく欠伸して――頭にぽすりと何かが乗っかった。何かと思って手で触ると、柔らかな感触。取ってみたら、緑と白の冠。


「子供の頃、よく作っていたんです。随分作っていなかったのですが……ちゃんと覚えていたんです」
「……上手いもんだな」
「そうです? ありがとうございます」
「でもオレがつけるには、ちと、な」


 言いつつもユーリは冠を頭に戻す。自分には、花とか冠とか、そんな豪奢で綺麗なものは似合わない。だけど彼女の手で作られて彼女の手で飾られたこの冠は、どうも手放すのが惜しくて仕方ない。


「ラピード。どうだ?」


 相棒の犬はユーリの頭の冠を見て、わん、と一声鳴いた。似合うかどうかは知らないが、まあ悪くないんじゃないか――と言っているような気がした。全くこの犬は自分の心情を理解している。似合わない、と言われても、簡単には手放せないのを、しっかり分かっているのだ。


「ユーリ。もう少し、休んでいます?」
「……んー、風、冷たくなってきたからな。でももうちょい」
「はい。どうぞ」


 それが、休んでいてください、という意味とは少し違う響きに聞こえて、ユーリは彼女の方に目をやる。と、彼女はにこにこ笑いながら、自分の膝を両手で示していた。


「……それもジュディに教わったのか?」
「いいえ、レイヴンです。男性は、疲れた時に膝枕をして貰うととっても癒される、と。わたしでは役者不足かも知れませんが、少しでも疲れがとれるなら」


 小首を傾げて促す彼女は、読書好きで知識豊富なのに、知らないことはとことん知らない。恋愛ごとに疎い訳ではないだろうに、触れあうことは別のようで。ただ純粋な心で誰とでも身体を触れ合わせるものだから、一人で心配になったりさせられるし。
 それでも。
 こうやって、純粋な心でこんなことをする。
 それに苛立つのに、救われて。
 心を、奪って、閉じ込めたくなる。


「んじゃ、お言葉に甘えて」
「はい……って、逆ですユーリ。頬じゃなくて、頭を、ですね」
「頭乗っけてるのは変わんねえだろ」
「ユーリはうつ伏せで寝るんです?」
「その時々、かな」


 白い衣服に自分の黒髪が零れ、高いコントラストを作り出す。
 真っ黒な自分と、白く淡い色の彼女は、交わったらどうなるだろう。きっと黒が押しつぶしてしまう。優しく包むことも、手を取り合うことも出来ず、淡い色は黒に消えるだろう。
 緑と白の冠のように、どちらも美しく手を取り合えればいいのに。
 でもきっと自分は、手を取り合えても壊してしまうから。
 不釣り合いと分かっているのに。


「……どうも、なあ」
「え?」
「エステル。ちょっと、じっとしてろ」


 彼女の膝の上で身体を動かし、すぐそばにある細い腰に両腕を回して引き寄せる。泣きたいくらいに暖かくて、歪んだ顔を見せたくなくて、腹部に顔を押し付けた。


「ユーリ? ……寒いんです?」
「違うよ。平気だから」


 エステルは少し困ったような、だが何かを理解したような吐息を漏らし、それから冠で飾られたユーリの髪を撫でる。それに答えるように、彼の腕に力がこもった。


「……ユーリ」


 名をぽつりと呼ぶ。彼の名前は、こんなに不思議な響きだったろうか。返事が返ってくるのは期待していなかったし、多分返事は来ないと思っていた。


「……エス――テ、ル」


 けれど、掠れた声で自分の名を呼んできたので、エステルは少し驚いて彼を見下ろす。だが顔は隠れているのでちっとも見えなかった。けれど少し深めに呼吸していて、先程よりも回した腕の力が軽くなり、膝の上にある彼が少し重くなったような気がした。少し体をかがめて耳を澄ませると、寝息が聞こえた。


「寝ちゃったんですか……?」


 小さく問うても、今度は答えは返ってこない。ゆっくりとした呼吸に肩が動き、長い黒髪がぱさりと落ちる。そして囁くように訪れる言葉。




「        」




 思わず髪を撫でる手が止まった。胸が広がっていくような不思議な感情に、指の先がむずむずした。緊張した時や興奮した時、楽しみな時に訪れるあの感覚。胸が脈を打つ音が脳の中で大きく響く。まるでそれは、世界に鐘の音を伝えるように。
 自分の脈が知らずあがっていることが恥ずかしくて、腕を回しているユーリにはこの鼓動が伝わってしまっていることは予想出来て、少し離れて欲しいと思ったけれど、回された腕を拒めるほど自分は強くないのだ。
 吹く風に桃色の髪が熱くなった頬を撫でていく。その風の音にまぎれるようにエステルはくすりと笑う。


「分かってますよ」


 彼女の言葉を、眠る彼はずっと知らない。


 彼女の作った冠の中に、四つ葉のクローバーが入っていることも。









 エステルは花以外にも、草原のイメージもあるんです。