何となく居そうだな、という場所はあった。小高い丘だ。とりあえずそこに向かってみると、果たして目当ての後ろ姿はそこにあった。
 綺麗な星空の下で、風に桃色の髪を揺らす後ろ姿。柵に手をやっていた。
 やっぱり居たな、とユーリは少し安心して息をつき、その後ろ姿に近付く。と、その後ろ姿が柵から身を乗り出そうとする。


 ――ありがとう、と夢の中で血を流す少女の姿が視界の奥にちらついた。


「エステルッ!」


 反射的に彼女の名を呼び、剣と掛布を投げ捨て全速力で駆ける。声に振り向き、少し驚いたような顔をしたエステルの表情を一瞬だけ目に留め、後ろから腰に手を回して柵からひっぺがした。


「きゃ、ああっ!?」


 そのまま勢いで草の上に転がった。緑色の草が桃色の髪について、美しい色合いになる。髪を整えながら起き上がったエステルの肩を真正面から掴み、鼻がぶつかりそうに顔を近付け、ユーリは彼女の緑色の瞳を見つめて怒鳴った。


「何してんだお前!」
「へ?」
「あそこから落ちてどうなるっつーんだ! ただいまって言った癖して、また変なことする気か!?」
「へ? へっ!?」


 一体何を言われているのか分からない、というように、エステルが目を白黒させる。まだ分からないかともう一言怒鳴ってやろうとユーリは息を吸い込み、そこで何かおかしいことに気付いた。ぱくんと口を噤み、顔を離してエステルが何か言うのを待つことにする。やがて彼女は自分の瞳を心底不思議そうに見つめ、やっぱり心底不思議そうに言った。


「……あの……落ちるって、何です?」
「………………………………………………………………は?」
「ユーリ……あの……何か、勘違いしていると思います。わたしはただ、下の方で何かが光ったように見えたから、何だろうって思って、ちょっと身を乗り出しただけで……結局何だったのかは分からなかったんですけど」


 ……つまり。
 彼女は下に何かあったのを見ようと身を乗り出しただけで。
 別にそこから落ちようとか思っていなくて。
 全部自分の勘違い。


「……あ――――…………何だよ、紛らわしいことしやがって……」
「ユーリが勝手にわたしのこと死なせただけです」
「…………わ、悪い」


 とんでもなく格好悪い。ユーリはすっかり落ち込んで、ため息をつきながらエステルの肩から手を離した。珍しく酷い勢いで自己嫌悪に陥っているのか、片膝を抱いて俯いてしまったユーリを見て、エステルはくすりと笑ってその頭を撫でた。


「でもありがとうございます。心配してくれたんですね」


 まるで子供を褒めているような口調だ。物凄く情けなくなって、ユーリはされるがまま膝に顔をうずめていた。


「お前はそうやっていつも俺の手の届かないとこでふわふわしてんだよなあ……」
「ええ? え……えっと……ご、ごめんなさい……?」
「……謝るな。俺が情けなかっただけだ」


 ああもう何も言いたくない。捜しに来たりするんじゃなかった。いや会いたくなかった訳じゃないけど。こんな旅してりゃ二人っきりとかそうそうねえぞおい……でもこんな情けない状況じゃ何も手ェ出す気起きねえ。
 色々考えていたら、脇に座っていたエステルが動いたような気配がした。と思ったら、細い両手が肩に回り、柔らかい頬の感触が頭に触れた。
 視線を左下にやったら、薄い夜着に隠れた足が立て膝をしていた。


「あのですね。ユーリが時々、難しそうな顔をしてる時があって。どうすれば良いんだろうって、わたしいつも考えてて。そうしたら、ジュディスが教えてくれたんです。こうしてあげなさい、って。……少しは楽に、なります?」


 頬を黒髪にうずめて、背中から回した右手が髪を撫でる。……あいつまたからかったな、と、横から抱き締められながらユーリは目を細めた。あの槍使いの女は、事あるごとに自分達をからかう。そのやり方は、主にエステルに変な提案をすること。困ることはあるが心底嫌な訳ではない、が……その行動が自分で考えたものではなく提案されたものであることは、最近少し悲しい。


「エステル」
「はい?」


 彼女の腕の中でユーリは少し顔を上げる。エステルが少し腕の力を緩めたのでその隙にユーリは両腕を動かし、少女の細い腰に手を回して引き寄せた。


「……ああ、楽になった」
「そうですか。良かったです」


 にっこり、微笑まれた。……やっぱり察してくれない。
 まあ良いんだけど、とユーリは目を閉じて腕に力を込めた。


「ユーリ。あの、痛いです」
「耐えろ」
「……え……」


 あっさりと、しかも悪びれもなく言われて、エステルは返す言葉を失った。どうするべきなんでしょう。エステルは少し視線をさ迷わせて悩んだ後、自分も彼を抱く手に力を込め、はにかんで頬を黒い頭にすり寄せた。
 そんな彼女の行動に、ユーリはぎょっとして目を見開いた。……けれどエステルは気付かないし、見える訳もないのだから、彼はその後目を細めて、それは幸せそうに笑ったのだった。






「ほれ」
「っわぷ」


 すっかり存在を忘れていた掛布を拾って、ついた草を軽くはたいてから、ユーリはエステルの頭にぽふりと被せた。


「そんな薄着じゃ冷えるぞ。被ってろ」
「はい。……でもユーリも薄着です」
「オレは良いの。お前を迎えに来たんだから」
「…………? それ、理由です?」
「理由です」


 口調を真似された。本当に理由になっているのかな、とエステルは眉を寄せたが、素直に肩に掛布をかけて、前で握る。そうしている間にもユーリは剣を拾って歩き出すので、エステルは小走りに彼に駆け寄ってから隣を歩く。


「ユーリ」
「ん」
「わたし、ユーリ達が嫌だって言っても、一緒に居ますから」
「そりゃ安心だ」


 くくっとユーリが面白そうに笑うので、エステルも目を細めて笑う。
 多分、明日の夢でありがとうと笑う彼女は、花畑の中で幸せそうにしているのだ。









「おかえり」「ただいま」後の話。
 ユーリがあほの子になって勘違いするっていうのが書きたかっただけです。