5 「またあした」
「……やだわ。私が殴れる場所、どこかしら」
美しいその顔は憂いの色。片手を頬にやり悩ましげなため息をつきつつ、さらっととんでもないことを言ってのける。いつもは物騒なその言葉も、エステルはなぜか今日は聞けて安心してしまった(父には悪いが)。
まず、妹に盛大に腹を蹴られた。その妹に、あんたも一発やりなさい、と脅された弟が、足に一発蹴りを入れた。自分も悪いとは思いながらも、頭に平手打ち。そして悶絶して床に転がっている夫に向かって、大丈夫か、の一言すらない妻。
「お、おい、お前ら……何でジュディには一発も入れないでオレなんだ」
「何言ってんのよ、元はあんたが言い出したんでしょ!? あたしだってこれでも、け、結構心配したんだから……っ」
「意地張るのやめなよリター、今日になって心配だ心配だって言ってぶえっ」
「ううううううるさいっ、あんただってほんとは一発くらい殴ったり蹴ったりしたかった癖にっ!」
「してないよ、リタがしろって言うから!」
顔を真っ赤にして怒鳴る妹と慌てて弁解する弟の間に入ったエステルは、二人を交互に見やり諌める。
「リタとカロルまで喧嘩しないでください。折角二人が仲直りしたのに」
「いや、仲直りっつうか最初から喧嘩もしてねえし」
「ですから、……はあ、もう良いです」
結局、二人は喧嘩なんかしていなかった。賭けをしていたら自然口を利かなくなってしまい、一時的にぎくしゃくしていただけだったのだ。それでも二人が賭けをやめないのは、どうにかなるだろうと楽観視していたから。どうせどちらからともなく賭けを終了させる行為に出るだろう――と思っていたのだ。ジュディスが楽しそうだったのは、今日で賭けが終わってまた殴り合い蹴り合いの生活に戻れるからだったらしい。
「それで、賭けはどっちの勝ちなの?」
最後にリタにぺしんと頭をはたかれたカロルは、両親に向かってこう問うた。二人は顔を見合わせ、互いの瞳をじいと見つめる。……まだどちらも手をあげていない。
「……ジュディ、さっき、自分が殴る場所がないって言ったな。じゃあ、殴るつもりだったんだな?」
「あら、どうしてそうなるのかしら。私はただ、この賭けが終わったあとに殴れる場所がないっていう意味で言ったのよ。賭けが終わらない今殴るという意味ではないの」
「まあ、そりゃそうだが……、……となると」
ユーリの目が長女へと向く。ジュディスもそちらを向いて、ああ、と頷いた。リタが呆れたように肩をすくめ、カロルが面白そうに顔をくしゃくしゃにして笑った。
「え、え、え? 何です?」
「おめでとうエステル。お前の勝ちだ」
「みたいね。明日の夕食はエステルの好物にしなくちゃ」
「全く……何よ、このオチ。あんだけ騒いでおいて」
「良いじゃん、元通りになったんだし」
エステルは訳が分からなくて首を傾げる。とにかく、この事件は解決したらしい。それでも少し不安で、両親を見つめる。すると二人は何かを察したのか、顔を見合わせて手を繋いだ。そして、ほら、と安心させるような笑みを見せる。じわりと目が熱くなった。ああ、仲良しの二人だ。
「……っよ、良かったですーっ!」
安心してわあわあ泣き始めたエステルに、今度はユーリ達が慌てる番だった。
そして、また朝がやってきた。しかし、ジュディスの左足には昨日まではなかった痣。カロルは僅かに頬を引きつらせ、恐る恐る問う。
「……お母さん……まさか、昨日」
「気にしない気にしない。私も手加減しなかったから」
ああ、一体父はどこを殴られたのか。カロルは目玉焼きをつつきながら少し不安になったが、エステルは母の横でくすりと笑い、
「あんまり本気でやっちゃ駄目ですよ」
と言うので、カロルはびっくりして箸を落としそうになった。それを見たリタは、眉を寄せ、
「……何してんのあんた」
「だってエステルが、二人の喧嘩を笑ってる……いつもは心配そうにするのに」
「あんなことがあった後だから、大目に見てるのよ。またそのうち、おろおろするわ。何あんた、エステルがおろおろしてる方が良いの?」
「そ、そういうことじゃないけど」
でも、ああいうエステルもどうかと。
「良いんじゃない? あれで」
「……良い、のかなあ」
「良いのよ」
味噌汁を飲み干し、ごちそうさまー、と立ち上がったリタを見つめカロルが首を傾げると、廊下からユーリの大欠伸が聞こえてきた。
家族が揃うまで、あと五秒。
勿論、父はどこかに痣を作ってるんだろうけど。
ユリジュディを目指していた筈だったのに、気付いたらユーリフルボッコ物語でした。
べっぺりあパーティ 家族みたいで大好きです という妄想の産物です。