終わりの時には、どうかワルツを








 愛しい人の呼ぶ声で目が覚めた。おはようございます、と変わらず微笑む妻は今日も綺麗だった。


「おはよう、グウェンド…………」


 言葉が、途切れた。
 格好がドレス姿ではなかった。まるで今から戦場に行くかのような戦装束に身を包み、視界の端、ベッドの隅には槍が立てかけられていた。


「……グウェンドリン。君はどうしてそんな格好をしているんだ。しかも槍まで用意して」
「オズワルド様に頼みたいことがあるのです」
「寝首を掻きたいのか?」
「とんでもございません!」


 少し頬を膨らましてぴしゃりと言い放った後、


「オズワルド様に手合わせをお願いしたいのです」


 てあわせ?


「私も貴方の妻。妻ならば妻らしく、子を産み育て、夫の支えとなり生きていくが運命。しかし何時何が起こるか解りません。ならば、少しでもお役に立てるようにと」
「いや待て! 少し待てグウェンドリン!」
「お気遣いは無用でございます。さあオズワルド様、ご朝食の後、早速私と手合わせを!」


 やる気満々だ。目が輝いている。そういう風に目を輝かせるのは戦じゃなくてもっと別のことが良いのに、とオズワルドはこの時心底思った。


「お着替えはこちらに置いておきます。私はミリスの手伝いをして参りますね」


 にっこり。酷く満足そうな笑みを残し、グウェンドリンは足取りも軽く寝室を出て行った。まさか着替えは鎧じゃないだろうな、と眉を寄せたが、シャツにスラックスという普段の着替えと同様だったので、自然安堵の息が出た。
 どうして彼女は今になっても尚戦おうとするのだろう。……そんなに自分は頼りないだろうか。確かに彼女に助けて貰ったことは何度もある。例えば炎の国でのレヴァンタンのことや、心の迷いから捕らえられた時のオデットのことや、…………


(……おかしいな。俺はグウェンドリンに助けられてばかりでは……?)


 これはまずい。仮にも自分は夫であり、彼女の父からも彼女のことを任されているのに。どういったことか。
 弱くなれ、とは言わない。
 けど、これ以上強くなられるのも、何か複雑だ。


「何処まで俺のことを試すんだろうな、あの青い鳥は」


 それでも零れるのは笑みの吐息。
 どうであれ、愛しさは変わらない病気だ。




「……流石です、オズワルド様。私の完敗です」


 一勝一敗の後の三回戦。組み敷かれ赤い輝きを放つサイファーを首に向けられ、グウェンドリンは荒いと息と共に言った。肩は上下し頬は赤く、額には汗が浮かんで銀髪が張り付いていた。その癖負けを認めた言葉は、何処か誇らしげで嬉しそうだった。


「君もな。さっき、本気で俺の首を狙っただろう」
「避けられると思っておりましたから、全力で狙うことが出来ました」
「……それは……俺を信じているからこその行動、と解釈し、喜ぶべき事なのか?」
「勿論でございます」


 これまた誇らしげで嬉しそうに言われ、オズワルドはやっぱり複雑になりながらもやっぱり嬉しくて、中途半端ににやけるような笑みが零れた。


「それにしても、この体勢」
「?」
「オズワルド様と初めてお逢いした時のことを思い出します」


 乾燥した風の吹く戦場で二人は出逢い、戦った。圧倒的な強さに驚く間もなく組み敷かれ、早く殺せとせがんだ少女は、今その男の妻になっている。


「……もう、俺に殺すよう言わないでくれ」
「この命に賭けて誓います。そのようなことを申す理由もございませんから」


 ぞっとする。
 あの時もし殺していたら。この勇敢で可愛らしい青い鳥の翼を裂いていたら。
 今となっては有り得ない『もしも』が、想像しただけで心を締め付ける。


「俺が――もし、君を殺す、ような素振りを、見せたら、」


 口にするだけで吐き気がする。不快感に思わず目を瞑った。動いた汗とは全く違う冷や汗が吹き出て鼻筋を伝う。組み敷いたグウェンドリンがどんな顔をするのか、怖くて見ることが出来なかった。


「その時は、その前に、君に、殺して欲しい」


 微かにグウェンドリンが息を呑んだ音が聞こえた。育った環境のせいで細かなことさえ解ってしまうことが今だけ嫌になった。全身を駆け巡る不快感が増す。


「そんなことはしません」


 サイファーを離した右手が頬に触れて、引き寄せられた。驚いて剣を離した。体勢が崩れて、組み敷いた状態から覆い被さる状態になっていた。両手でぎゅうと頭を胸に抱いたグウェンドリンは、少し怒ったような、決意を秘めたような、そんな声で静かに続けた、


「絶対にしませんから」


 貴方が私を殺すなんて、そんなことある訳がない。私が必ず貴方をお護り致します。どんなことがあってもお側を離れたりなどしません。して、あげませんから。


「うん」


 つよい、ひとだ。


「うん、そうだ」


 とても、つよいひと。


「……オズワルド様? 泣いていらっしゃるの?」


 もう出ない冷や汗が背中をじんわり伝っていく。それに紛れるように零れた涙に、顔を見ていない彼女がどうして解ったのか。


「ああ、そうかも知れない。……君が、とても暖かだから」


 心にあった恐怖という氷が、溶けていくんだ。





最初コメディのつもりが何故かシリアスに路線変更してました。
ほんっとにうちの奥さんは逞しい。そして旦那様はヘタレ。