ひとひら、
青いドレスを翻し、妻が古城の中を必死に歩いていた。今にも走り出しそうなのに走らないのは、ドレスを踏ん付けて転びそうだからと、そうやって踏ん付けてしまってドレスが汚れるのが嫌だからだ。
「グウェンドリン、どうした? 何かあったのか」
「あ……っ、オズ、ワルド様」
息が切れていた。鼻の頭に汗まで浮かんでいる。一五センチ下にある彼女の頭は息をする度に動き、長い髪が少し乱れていた。オズワルドは塗れた鼻の頭を指先で拭う。
「こんなに汗を掻いて」
ようやく鼻の頭の汗に気付き、顔を真っ赤にして鼻を手で覆った。そういう仕草さえ愛しいと思えるあたり、自分は心底幸せの絶頂だと感じる。
「駄目ですオズワルド様、何をしていらっしゃるんですか!」
「……ああ、ハンカチを持っていないから」
「そう言う問題ではございません!」
更に顔を真っ赤にされた。これではもっと汗が出る、と見当違いの考えばかりがオズワルドの頭の中に浮かんでくる。気を取り直したのか、グウェンドリンは上気する頬を隠すように両手を頬にやってから、顔を上げた。
「オズワルド様、あの、怒らないで……聴いて下さいますか」
「話を聴いてみない事には何とも言えないが……努力はする」
「そう、ですか」
あの、と彼女は目を伏せてから、もう一度顔を上げた。
「指環を……見ませんでしたか」
「指環?」
「はい、指環です。水仕事をする際に汚れると思って外したのですが、何処に置いたのか忘れてしまって、見当たらないのです」
段々とグウェンドリンの瞳が細くなり、声も弱々しくなっていく。
「私……部屋に置いたとばかり思っていたのに。ハンカチの上に乗せたとばかり……」
「…………?」
あれ、とオズワルドはそこで引っかかるものを感じ、妻の名を呼び考えを告げようとしたが、少し遅かった。
「先程からずっと探しているのに、見付からないんです! どうしよう……あの指環はオズワルド様からの証なのに、私の全てなのに! 指輪がなくなったら私どうすればっ」
「グウェンドリン! グウェンドリン、待ってくれ」
「ごめんなさいオズワルド様、私もうどうすれば良いのか」
「だから待ってくれ、グウェンドリン、指環なら心当たりがある!」
え、と泣きそうになっていたグウェンドリンが目を見開いた。黒い下衣のポケットからハンカチを取り出し、グウェンドリンの目の前に開いてみせた。そのハンカチの上には金色の指環。
「……あ、指環……」
「君が置いたのは自分の部屋じゃなく、俺の部屋だ。さっき俺の部屋にあったから君に渡そうと思っていたんだが……そうか、俺が持っていたから見付からなかったのか」
「でも、お待ち下さい、先程オズワルド様、ハンカチは持っていないと……」
「『俺の』ハンカチはない。……君のハンカチを無断で使う訳にもいかなかったから」
催促されるようにハンカチを乗せた手が揺れた。おずおずとそれを両手で受け取り、ハンカチごとぎゅうと胸に抱いてその場にぺたり、腰を下ろした。
「……良かった……もう、見付からないかと……」
その零れる涙さえ、結晶になって宝石になりそうだった。
彼女の前に膝をついて、左手を引っ張った。指環を持って、薬指に通し、そこに口付けた。
「……返しに来たのかと、思った」
「え」
「指環を」
内心、凄く、安心した。腰が抜けそうだが、格好悪いのでギリギリで誤魔化している。今にもついた膝から崩れてしまいそうだ。
「そんなこと、出来ません」
「……そうか」
「……あ……いえ。でも、これが私の全てなら、」
指環を貴方に預けたのなら、私の全ては貴方のものですね。
不意打ちに今度こそ膝が崩れた。慌ててグウェンドリンが声をかけるので、慌てて平気だと言う。それから思い付いたように、
「……あ、私は最初から全てオズワルド様のものですから……余り意味はございませんね」
全く見当違いのことを考えるのは、彼女も負けていないのだ。
オズワルドが微妙に情けない男であればすっごく萌えるんだ。